弁財天

ゴフマン「専門家を信じるのではなく、自分自身で考えて判断せよ」

ハルビンの731部隊展示館(侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館)が「岡9420部隊」と呼ばれた日本軍細菌戦部隊の名簿を展示… update19



「福井県三方郡十村?上管拾九號二三番地、父・前田金蔵、補衛上19.9.1、前田敏夫」w

どうやら中国はとてもお洒落な戦術を使ったようであるw )ドラえもん三兄弟w

すっげーw、地震兵器フクイチ付きw

yamanaka-bengoshi.jp→前田泰宏-中小企業庁次長の略歴書(令和元年7月2日現在) (PDF)

略歴害
まえだやすひろ 前田泰宏
昭和39年01月02日生男
出身地 兵庫県
最終学歴 東京大学法学部(昭和63年03月)
採用賦験 国家I種(法律)
略歴
昭和63年04月 通商産業省(経産省)採用
昭和63年04月 資源エネルギー庁長官官房総務課
平成07年06月 米国留学(ジヨンズ・ポプキンス大学)
平成08年05月 通商産業省大臣官房総務課長補佐
平成09年07月 通商産業省大臣官房政策評価広報課長補佐
平成10年06月 資源エネルギー庁公益事業部業務課長補佐(総括班長)
平成11年06月 通商産業省機械情報産業局電子政策課長補佐(総括班長)
平成13年01月 経済産業省商務情報政策局情報政策課長補佐
平成14年07月 経済産業省大臣官房企画課長補佐(企画担当)
平成15年06月 経済産業省大臣官房政策評価広報課長補佐
平成16年06月 経済産業省製造産業局政策企画官
平成17年08月 経済産業省製造産業局素形材産業室長
平成19年07月 経済産業省商務情報政策局文化情報関連産業課長
平成20年07月 経済産業省商務情報政策局情報経済課長
平成21年09月 内閣府特命担当大臣(行政刷新担当)付参事官(総務課担当)
平成22年06月 内閣官房長官秘書官事務取扱(仙谷由人)
平成23年01月 経済産業省商務情報政策局サービス政策課長
平成24年06月 経済産業省製造産業局自動車課長
平成26年07月 経済産業省大臣官房政策評価広報課長
平成27年07月 経済産業省大臣官房審議官(商務情報政策局担当) 平成30年05月 (併)経済産業省大臣官房サイバーセキユリテイ・情報化審議官
平成30年07月 中小企業庁次長

淡路島は兵庫県w、新型コロナのジョンズ・ポプキンス大学、パソナ、電通、…そして福井県鯖江のSAP HANA道場w

杉原千畝カニバリズムノーベル賞街道がパソナ島まで続いてるとは思わなんだわw )森山栄治と関電w

人身売買のためのSalesforce…

淡路島がほんとうにエプスタイン島みたいなパソナ島になる…

ロンブー淳のイタコトをSalesforceに組み込むのかw

中国で旧日本軍の細菌兵器部隊の名簿が公開される
© AFP 2020 / Fred Dufour アジア
2020年09月04日 18:32(アップデート 2020年09月04日 18:50)短縮 URL 0 93 でフォローする
中国で、第2次世界大戦中に細菌兵器の研究を行っていた旧日本軍の「岡9420 部隊」の名簿が公開された。
名簿には、メンバー468人の氏名のほか、生年月日、本籍地、親族や軍歴などの情報が記載されている。名簿は茨城県にある日本国立公文書館つくば分館で発見されたという。
岡9420 部隊は、第2次世界大戦中にハルビンにつくられた極秘の生物・化学兵器研究機関731部隊の下部組織だった。
少なくとも3000人が731部隊の人体実験の犠牲となり、中国では30万人以上が生物兵器によって死亡した。

【731部隊】 中国人20万を虐殺した日本細菌戦部隊…中国、内部映像初公開[09/04] [蚯蚓φ★]
1蚯蚓φ ★2020/09/05(土) 22:23:15.41ID:CAP_USER
http://photo.jtbc.joins.com/news/2020/09/04/202009042114360579_LC.jpg
[アンカー]中国では昨日、9月3日が第2次世界大戦勝利を賛える戦勝節でした。中国政府が抗日戦争勝利75周年をむかえて当時、中国人20万人を虐殺した日本細菌戦部隊の内部映像を初めて公開しました。人を対象に生体実験した日本人名簿も同時に明らかにしました。北京からパク・ソンフン特派員です。
[記者]建物の外には日章旗が翻って内部には菌を培養する実験道具がいっぱいあります。暗くてよく見えませんが、不安そうに立っている人々は生体実験対象者と推定されます。中国黒龍江省にある731部隊展示館が「9420部隊」と呼ばれた日本軍細菌戦部隊内部映像を初めて公開しました。第2次世界大戦当時、ハルビンで韓国人や中国人などを相手に生体実験蛮行を行った日本軍731部隊のような性格です。
[中国官営CCTV報道(現地時間3日):初めて公開された証拠は日本軍が第二次大戦中に人体実験と細菌戦を行った犯罪事実をより一層明確に表わしました。]
シンガポールにいた同部隊が1942年、中国雲南省で二度細菌戦を行って中国人20万人が死亡しました。生体実験を行った日本軍468人の名簿と出身地、実験記録なども共に公開されました。
[当時の731部隊医師の証言/中国官営CCTV報道:10人に炭疽菌を注入し、さほど経たないうちに全員死亡しました。]
(記者注:動画から日本語部分をひろうと「人間が実験場につれてこられておりました。これらの傷を受けた人間は炭疽にかかり、後に死亡した」であり、上記発言部分の様に「炭疽菌を注入」とは言っていない)
戦争が終わって75年過ぎても日本の戦争犯罪の傷痕は消えることがありません。
ソース:JTBC(韓国語)'中国人20万虐殺'日本細菌戦部隊…内部映像初公開
http://news.jtbc.joins.com/html/976/NB11967976.html
関連動画:YouTube:中国人20万虐殺「日本細菌戦部隊... 内部映像初公開/ JTBCニュースルーム
https://www.youtube.com/watch?v=K3bTVrT3jgg
関連スレ:【731部隊】 日本戦犯731部隊隊員の名前などを名簿で確認…何と2149人、細菌生産も[06/23] [蚯蚓φ★]
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1592916600/
【731部隊】戦争証言に「嘘は明白」との指摘が拡散。「731部隊は大学卒のみの採用」は誤り、少年隊の実態は?[08/21] [新種のホケモン★]
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1598002396/

「中国人20万虐殺「日本細菌戦部隊...内部映像初公開 入力2020-09-04 21:00修正2020-09-04 21:35
[アンカー]
中国では9月3日、昨日(3日)が第二次世界大戦の勝利を称える伝承節だったんです。中国政府が抗日戦争勝利75周年を迎え、当時中国人20万人を虐殺した日本細菌戦部隊の内部映像を初めて公開しました。人を対象に生体実験に乗り出した日本人名簿も一緒に明らかにした。
北京でバクソンフン特派員です。
[記者]
建物の外では日の丸がはためく内部円菌を培養する実験ツールがいっぱいです。
暗くよく見えませんが、不安に立っている人は、生体実験対象者と推定されます。
中国の黒龍江省の731部隊展示館が「9420部隊」と呼ばれた日本軍細菌戦部隊の内部映像を初めて公開した。
第二次世界大戦当時、ハルビンで韓国人と中国人などを相手に生体実験の蛮行を行った日本軍731部隊のような性格です。
[中国国営CCTVプレス(現地時間3日):最初に公開された証拠は、日本軍が第2次大戦中に人体実験と細菌戦を行った犯罪事実をより明確に明らかにしました。]
シンガポールにいたこの部隊は、過去1942年の中国雲南省で二度細菌戦を繰り広げながら中国人20万人が死亡しました。
生体実験を行った日本軍468人の名簿と出身地、実験記録なども一緒に公開された。
[当時731部隊の医師の証言/中国国営CCTVプレス:10人に炭疽菌を注入し、程なくすべて死亡しました。]
戦争が終わって75年が経ったが、日本の戦争犯罪の傷跡は消すことができません。
(画面出典:CCTV)
(画像グラフィック:イ・ジョンシン)

blog.livedoor.jp→御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

阿修羅に731部隊と今の御用との関係を簡潔にまとめたのが掲載されたので、コピペした。

先の大戦をキチンと総括しなっかったつけが現れた。

それにしても、おぞましい人の性、と言うべきだ。

―――ここから―――


御活躍中の御用医学者と731部隊の関係を調べてみた。意外と簡単に結びつくので驚いた。
(以下敬称略)

まずは長崎大学から。

==== 長崎大学医学部(旧長崎医大) ====

山下俊一、高村昇らが活躍(暗躍)する長崎大医学部は元731部隊関係者の巣窟であった。少なくとも次の4人が関係者だと言われている。

林一郎(病理) 長崎大学名誉教授・日本先天異常学会会長
斎藤幸一郎 (生理) 長崎医科大学教授・金沢医科大学第1生理学教室教授
青木義勇 (細菌) 長崎医科大学教授
福見秀雄 (細菌・防疫) 長崎大学学長・長崎大学教授・ 国立予防衛生研究所(予研)第6代所長

福見秀雄は1980年に長崎大学学長に就任。
同年、長瀧重信が医学部教授に、のちに医学部長になっている。
長瀧の教え子が山下俊一、そのまた教え子が高村昇である。

長崎大医学部は、731部隊直系の研究組織と言ってよい。そして、そこから御用学者が何人も出ていることは決して偶然ではない。


==== 重松逸造 ====

重松逸造は御用医学者を語る上で極めて重要な人物、キー・パーソンである。

彼は終戦当時、ラバウルで海軍軍医をしており、731部隊で研究していたわけではないようだ。しかし彼の恩師や同僚は731関係者が非常に多い。とくに長崎大教授たちとは深い交流があった。福見秀雄とは共著で論文を書いているし、林一郎とも知己であった。斎藤幸一郎とは金沢大で働いている。その金沢大(旧金沢医大)も、戸田正三、石川太刀雄丸、二木秀雄などが在籍し、長崎大と並ぶ731出身者の巣窟であった。

重松は彼らから731部隊の悪魔的な思想・精神をしっかりと受け継いだと考えてよい。

米国が組織した原爆傷害調査委員会(ABCC、Atomic Bomb Casualty Commission)の日本側初代代表は都築正男だったが、GHQの原爆に関する研究発表禁止に反発し追放処分となり、その後継者となったのが重松である。(まともな人間がハネられるのは原子力ムラの常である)

ABCCはデータを取るだけで全く治療をしてくれない、と原爆被爆者の激しい非難を浴びた。

そのABCCは1975年に放射線影響研究所(放影研)に改組され、重松は第3代理事長となり、1981年から16年にも渡り、原爆被害の隠蔽・過小評価に尽力した。 そのあとを継いだのが弟子の長瀧重信で、第4代理事長に就任した。

重松、長瀧とも1960年前後にハーバード大学に留学している。当時は、特別なコネでもなければ海外渡航はできなかった時代である。奨学金をもらい留学"させてもらった"のかもしれない。要するに米国(IAEA)のヒモつきだ。恩義があるから米国の言うなりであり、原爆の被害を過小評価するのは当然のことであろう。
(アメとムチは米国のお家芸であり、安部首相の祖父・岸信介はA級戦犯だったが、無罪放免と引き換えに米国の走狗となった)

重松は水俣病、イタイイタイ病、スモン病など多くの公害、薬害事件において、事実を隠蔽・改ざんし、常に政府・企業側に有利な報告をでっち上げている。

また長瀧らとチェルノブイリ原発事故の調査をし、住民に健康被害はないとのトンデモ報告書をまとめ、全世界から非難を浴びた。(このときの後援者がIAEAと結託した笹川財団である)
重松はIAEA、ICRP、WHOの委員も務めている。

彼は筋金入りの御用である。困ったことに弟子も多い。2年前に彼が亡くなったときには、あちこちで歓声が上がったという。むべなるかなである。


==== 広島大学医学部 ====

長崎大と比べて、広島大には731部隊の主だった関係者は在籍していなかったようだ。しかし放影研、重松逸造との関係は深い。

まずは原子力安全委員会委員の久住静代(放射線影響学)。20ミリシーベルト提案者である。彼女は重松の教え子であり、放影研、広島大学原爆放射能医科学研究所(原医研)で働いている。

次に神谷研二教授。原医研所長であり、福島県立医科大学副学長に就任した。この人も重松の弟子であり、長瀧重信とも仕事をしている。

原医研では2006年に放射性ヨウ素131のずさんな取り扱いが内部告発で明らかになり、文科省による立ち入り調査を受けた。しかし研究総括責任者の神谷は政治力を駆使、「訓告」だけですんだ。

ほかにも原医研では不祥事が多く、1969年に患者に他人のがん細胞を注射し、体内で生成された抗体をまた元のがん患者に注射するという731顔負けの人体実験が発覚、担当助教授は辞任した。また2005年、腫瘍外科研究分野の教授が医師派遣に絡む受託収賄容疑で逮捕された。


==== 国立公衆衛生院 ====

東大系の研究所では、国立公衆衛生院、東大医科学研究所(旧伝染病研究所)、国立感染症研究所(旧国立予防衛生研究所)の3つが731部隊との関わり合いが深い。

まず国立公衆衛生院であるが、関東大震災の復興援助として、ロックフェラー財団から建物・設備が寄贈されたのがその始まりである。

ここの疫学部長に就任したのが野辺地慶三である。彼は1923年、ハーバード大学に留学、帰国後数々の業績をあげ「公衆衛生の父」と呼ばれている。
1958年にはABCCの疫学部長に就任している。

この人物も731部隊、そして米国との関わり合いが深い。戦後、百日咳の研究で、731部隊の最高幹部であった北野政次、安東洪次と協力している。

重松逸造は野辺地の教え子で、1966年に疫学部長に就任している。

国立公衆衛生院は2002年、改組により国立保健医療科学院となり、現在は、汚染食品からの被ばくは小さいなど安全キャンペーンをやっている。


==== 東大医科学研究所(旧伝染病研究所) ====

上昌広教授、坪倉正治医師の所属する医科学研究所(医科研)は、初代所長があの北里柴三郎で、由緒ある、エリート医学者のための研究所である。

しかし第7代所長・田宮猛雄は731部隊への人材供給役であった。宮川米次(第5代伝研所長)、細谷省吾、小島三郎、柳沢謙、金子順一、安東洪次、緒方富雄、浅沼靖などの研究者が731部隊に関与したと言われる。戦後、何食わぬ顔で東大教授になった人もいる。

戦後、731部隊長・北野政次が伝研に現れたとき、もっとも北野を庇護したのがこの田宮であったと言われる。

戦後、田宮は731部隊で得た成果を利用し、リケッチアによる伝染病、つつが虫病の研究で有名になり、国立がんセンター初代所長、そして日本医師会会長まで登りつめ、医学界のボスとして君臨した。

水俣病では田宮委員会を組織し、熊本大医学部の有機水銀中毒説をつぶし、被害を拡大させた。

田宮が初代所長になった国立がんセンターだが、ここも問題が多い。

上昌広は、2001年から国立がんセンターで造血器悪性腫瘍の臨床研究をしていた。国策遂行が最優先され、臨床試験を効率よく行なうために、重篤患者を切り捨て他の病院に回すのが当たり前だったと語っている。患者の命よりも研究成果が重視されるのだ。

「国立病院に生き続ける陸海軍の亡霊」 (MRIC Vol.198 2008/12/22)
http://mric.tanaka.md/2008/12/22/_vol_198.html

ちなみに、2011年9月に山下俊一は、日本対がん協会(垣添忠生会長)から「朝日がん大賞」を受賞したが、垣添は元国立がんセンター総長であった。まさにズブズブの関係だ。

フィルムバッジを福島住民に配布することを提言したのもここ。

ここも汚職など不祥事が相次ぎ、2010年に独立行政法人へ移行、国立がん"研究"センターと改称している。

インタビューで、上教授は福島で収集したデータが高く売れると話している。
http://www.asyura2.com/13/genpatu32/msg/595.html

住民の命、健康を守ろうという姿勢は全くうかがえない。彼にとって福島は金ヅルでしかないようだ。"モルモット"が逃げ出さないよう、後輩の坪倉正治を福島に派遣して安全デマを流布している。

「将来奴ら(福島県民)は、集団訴訟とかするんやろなあ」と酔って話したという話も伝わっている。しかしまるで他人事、責任感は全く感じられない。
http://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/aacebb2e3d5f936dce460130bdfd2f30


==== 国立感染症研究所・旧国立予防衛生研究所(予研)====

戦後、米軍命令で予研が設立され、伝染病研究所から約半数が移籍している。ここもまさしく731部隊の牙城、再就職先であり、柳沢謙(結核研究)、そして前述の福見秀雄など何人もの731関係者が在籍した。

そして、戦後も米軍と協力して密かに人体実験を続け、犠牲者を出している。ここにそのまとめがある。福見秀雄の名前が何度も出てくる。
出展は、新井秀雄著「科学者として」(幻冬社)

「わしの本の予定と、『予研』問題のコンジョいる入門講座」 (宮崎学 2000/11/6)
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/8536/yoken.htm

薬害エイズの非加熱製剤を合格させたのも予研である。また予研は1947年から1975年にかけてABCCに協力をしている。

1989年、住民の反対を押し切って、東京・新宿区戸山の旧陸軍軍医学校跡地に予研の建物を建設工事中、大量の人骨が見つかった。ここには731部隊の日本における拠点があったため、その関連性が疑われている。犠牲者の怨霊のしわざだろうか、ぞっとする事件である。

予研は薬害エイズ等であまりにも評判が悪くなったためか、1997年に国立感染症研究所に改称された。(不祥事が起きると組織名を変えてごまかすのが日本の伝統である)

福島関連では、被ばくとは直接関係ないこともあって、この研究所の御用活動は今のところ目立っていない。しかし、マイコプラズマ肺炎や風疹など得体の知れない感染症が流行し始めており、今後は要注意である。これは稼ぎ時とばかりに、製薬会社とグルになって、効果ゼロかつ危険な副作用をもつワクチンをでっち上げ、強制接種すべしと圧力をかけるかも知れない。

ちなみに、ここの先生方は子宮頸がんワクチンの恐ろしい副作用を「気のせい」と判断している。


==== 放射線医学総合研究所 (放医研) ====

中川恵一准教授が所属する放医研では、宮川正名誉教授が重要人物である。
http://www.u-tokyo.ac.jp/gen03/kouhou/1232/4.html

この訃報には陸軍軍医として戦時医療に従事されたとあるが、実は731部隊レントゲン班であった。何をしていたかは容易に想像がつく。

戦後、東京大学医学部放射線科教授、埼玉医科大学教授などを歴任している。放医研の立ち上げに尽力。放医研は原子力総本山のIAEAとも深い協力関係にある。

彼の弟子が、元放医研所長の佐々木康人教授(現・日本アイソトープ協会・常務理事)であり、ICRP委員も勤めている。その教え子が、われらが中川先生である。

驚くべきことに、彼の恩師をたった2代さかのぼれば731部隊にたどり着くのである。

また中川と同じく、安全だ安全だと繰り返す明石真言は、この研究所の理事である。

ここも法令違反など度重なる不祥事が起きている。そのうち名称が変わるであろう。いつも内部被曝は無視するから、放射線外部被曝研究所とでも名付けたらよかろう。


以上、簡単にまとめてみたが、みなさんの感想はいかがだろうか。

あまりにも御用医学者たちが731部隊と簡単に結びつくのにびっくりしたのではないだろうか。正直、私も驚いた。

活躍中の御用医学者の恩師をさかのぼれば、直接または重松逸造を介して731部隊関係者にたどりつく。世の中は広いようで狭い。すべて御用の道は731に通ず、というわけだ。

日本の医学界イコール731部隊であり、御用医者のみならず誰をさかのぼっても731部隊に行き着く、という指摘もあるが、これは荒っぽい性急な議論であろう。

なぜなら、731関係者が多かった組織ほど重大な社会問題を引き起こしているからである。予研がそうであり、また731部隊員の受け皿であったミドリ十字(旧日本ブラッドバンク)も薬害エイズを引き起こした。人命軽視、成果・利益最優先の結果である。

本来ならきちんと裁判を行ない、731部隊の行なった残酷な人体実験の責任を明確にし、関係者を処罰し、医学界から追放すべきだった。しかし米国と闇取引をして、実験の成果を渡す代わりに全員が無罪放免になった。米国も共犯である。

731関係者は何一つ罪を問われなかったために、人命を軽視し、人間を当たり前のように実験台に使い、成果を自分の昇進や金儲けに使うおぞましい伝統が日本の医学界に生き残り、はびこってしまった。

国家のため医学のためという大義名分の下に、何千人もの捕虜や住民を丸太(マルタ)と称して使い、血も凍るような凄惨な人体実験を繰り返した731部隊の思想・精神は、脈々と後進に受け継がれているのだ。

そして今、その何百倍、何千倍という規模の人体実験が福島を中心に行なわれているのである。

731の人体実験の背景には、日本人の民族的優越感があり、劣等民族は犠牲になって当然という差別意識があった。長年そう思っていたが、福島の事故でこれは正しくないことを思い知らされた。彼らは、自らの利益のためには、たとえ同胞であろうと誰でも容赦なく犠牲にするのだ。

御用医学者たちが鼻血を必死で否定するのも、被ばく被害に気づかれて、"モルモット"が汚染地帯から逃げ出してしまうと困るからである。

私は、福島その他の汚染地帯にいる人たちに何度でもこう言いたい。

「あなたたちは、あの悪魔のような731部隊の末裔によってモルモットにされているのですよ。彼らの言うことを信じてはいけません。犠牲になりたくなければ、一刻も早くお逃げなさい」


(参考資料・リンク)
「悪魔の飽食」(森村誠一著・角川書店)

「731部隊に関与した医師・医学関係者」
http://hirukawamura.web.fc2.com/731/731.htm

「731部隊関係者のその後および厚労省との関係」
http://www5.ocn.ne.jp/~kmatsu/iryou/731butai/kitikunoshokugyou.htm

「731部隊展2014」
http://ameblo.jp/supportvictim731/archive-201404.html

「被曝をめぐる御用学者の系譜」 (ArecoNote3 2011/6/4)
http://arita.com/ar3/?p=4674

「731細菌戦部隊残党と長崎大学の放射線医学者たち」
(真相究明・堀田伸永オフィシャルサイト 2012/1/21)
http://kyumei.me/?p=807

「重松逸造のエリートならざる足跡をたどる」 (堀田伸永 放射能・原子力の本棚 2012/1/26)
http://shohyo.kyumei.me/?p=60

「神谷研二氏率いる広島大学原医研の歴史に見る『明』と『暗』」 
(真相究明・堀田伸永オフィシャルサイト 2011/12/23)
http://kyumei.me/?p=600

「フクシマを植民地支配するナガサキの医学者達 - 731部隊の現代版」 (院長の独り言 2012/8/28)
http://onodekita.sblo.jp/article/57851653.html

「731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島」 (Save Kids Japan 2013/1/16)
http://savekidsjapan.blogspot.jp/2013/01/japan-victim-and-perpetrator.html

―――ここまで―――

【長崎大医学部は、731部隊直系の研究組織と言ってよい。そして、そこから御用学者が何人も出ていることは決して偶然ではない。】w

あー、ここで長崎に回帰するのかぁ…w、阿修羅に投稿されたそうだけど、なんか文体に見覚えがw

神近義邦と長崎県のビジネスを解読…
ルイス・デ・アルメイダ(Luís de Almeida)
ロマーノ岐部(Petro Kasui Kibe)から宇佐神宮と神社本庁のハイテーブル抗争を読み解く…

M資金をごっそり日本赤十字に移したのは731部隊かぁw、カトリック長崎大司教区を隠れ蓑に使うアイデアは瀬島龍三w。 どーりで米司法省がパナマ文書の全世界のマネロンルートを追跡してるわけだわ。 ここまで説明すればイスラム国™を勃発させることも可能なテロ資金の正体がわかるのでは?w

【稲盛財団✕瀬島龍三のカニバリズム・ビジネス】カトリック長崎大司教区の2013年ごろの2億5千万円海外事業投資て東京五輪招致の賄賂だなw

【GoTo(後藤)財源と基幹産業育成資金とM資金】しゃぶしゃぶ温野菜を木っ端微塵に爆破してヒント…


あー、やはり人体実験は口実でカニバリズムだな…

nytimes.com→Unmasking Horror -- A special report.; Japan Confronting Gruesome War Atrocity(1995年3月17日)

Unmasking Horror -- A special report.; Japan Confronting Gruesome War Atrocity By Nicholas D. Kristof March 17, 1995

He is a cheerful old farmer who jokes as he serves rice cakes made by his wife, and then he switches easily to explaining what it is like to cut open a 30-year-old man who is tied naked to a bed and dissect him alive, without anesthetic.

"The fellow knew that it was over for him, and so he didn't struggle when they led him into the room and tied him down," recalled the 72-year-old farmer, then a medical assistant in a Japanese Army unit in China in World War II. "But when I picked up the scalpel, that's when he began screaming.

"I cut him open from the chest to the stomach, and he screamed terribly, and his face was all twisted in agony. He made this unimaginable sound, he was screaming so horribly. But then finally he stopped. This was all in a day's work for the surgeons, but it really left an impression on me because it was my first time."

"The fellow knew that it was over for him, and so he didn't struggle when they led him into the room and tied him down," recalled the 72-year-old farmer, then a medical assistant in a Japanese Army unit in China in World War II. "But when I picked up the scalpel, that's when he began screaming.

"I cut him open from the chest to the stomach, and he screamed terribly, and his face was all twisted in agony. He made this unimaginable sound, he was screaming so horribly. But then finally he stopped. This was all in a day's work for the surgeons, but it really left an impression on me because it was my first time."

Finally the old man, who insisted on anonymity, explained the reason for the vivisection. The Chinese prisoner had been deliberately infected with the plague as part of a research project -- the full horror of which is only now emerging -- to develop plague bombs for use in World War II. After infecting him, the researchers decided to cut him open to see what the disease does to a man's inside. No anesthetic was used, he said, out of concern that it might have an effect on the results.

That research program was one of the great secrets of Japan during and after World War II: a vast project to develop weapons of biological warfare, including plague, anthrax, cholera and a dozen other pathogens. Unit 731 of the Japanese Imperial Army conducted research by experimenting on humans and by "field testing" plague bombs by dropping them on Chinese cities to see whether they could start plague outbreaks. They could.

A trickle of information about the program has turned into a stream and now a torrent. Half a century after the end of the war, a rush of books, documentaries and exhibitions are unlocking the past and helping arouse interest in Japan in the atrocities committed by some of Japan's most distinguished doctors.

Scholars and former members of the unit say that at least 3,000 people -- by some accounts several times as many -- were killed in the medical experiments; none survived.

No one knows how many died in the "field testing." It is becoming evident that the Japanese officers in charge of the program hoped to use their weapons against the United States. They proposed using balloon bombs to carry disease to America, and they had a plan in the summer of 1945 to use kamikaze pilots to dump plague-infected fleas on San Diego.

The research was kept secret after the end of the war in part because the United States Army granted immunity from war crimes prosecution to the doctors in exchange for their data. Japanese and American documents show that the United States helped cover up the human experimentation. Instead of putting the ringleaders on trial, it gave them stipends.

The accounts are wrenching to read even after so much time has passed: a Russian mother and daughter left in a gas chamber, for example, as doctors peered through thick glass and timed their convulsions, watching as the woman sprawled over her child in a futile effort to save her from the gas. The Origins Ban on Weapon Entices Military

Japan's biological weapons program was born in the 1930's, in part because Japanese officials were impressed that germ warfare had been banned by the Geneva Convention of 1925. If it was so awful that it had to be banned under international law, the officers reasoned, it must make a great weapon.

The Japanese Army, which then occupyied a large chunk of China, evicted the residents of eight villages near Harbin, in Manchuria, to make way for the headquarters of Unit 731. One advantage of China, from the Japanese point of view, was the availability of research subjects on whom germs could be tested. The subjects were called marutas, or logs, and most were Communist sympathizers or ordinary criminals. The majority were Chinese, but many were Russians, expatriates living in China.

Takeo Wano, a 71-year-old former medical worker in Unit 731 who now lives here in the northern Japanese city of Morioka, said he once saw a six-foot-high glass jar in which a Western man was pickled in formaldehyde. The man had been cut into two pieces, vertically, and Mr. Wano guesses that he was Russian because there were many Russians then living in the area.

The Unit 731 headquarters contained many other such jars with specimens. They contained feet, heads, internal organs, all neatly labeled. "I saw samples with labels saying 'American,' 'English' and 'Frenchman,' but most were Chinese, Koreans and Mongolians," said a Unit 731 veteran who insisted on anonymity. "Those labeled as American were just body parts, like hands or feet, and some were sent in by other military units."

There is no evidence that Americans were among the victims in the Unit 731 compound, although there have been persistent but unproven accusations that American prisoners of war in Mukden (now Shenyang) were subject to medical experimentation.

Medical researchers also locked up diseased prisoners with healthy ones, to see how readily various ailments would spread. The doctors locked others inside a pressure chamber to see how much the body can withstand before the eyes pop from their sockets.

Victims were often taken to a proving ground called Anda, where they were tied to stakes and bombarded with test weapons to see how effective the new technologies were. Planes sprayed the zone with a plague culture or dropped bombs with plague-infested fleas to see how many people would die.

The Japanese armed forces were using poison gas in their battles against Chinese troops, and so some of the prisoners were used in developing more lethal gases. One former member of Unit 731 who insisted on anonymity said he was taken on a "field trip" to the proving ground to watch a poison gas experiment.

A group of prisoners were tied to stakes, and then a tank-like contraption that spewed out gas was rolled toward them, he said. But at just that moment, the wind changed and the Japanese observers had to run for their lives without seeing what happened to the victims.

The Japanese Army regularly conducted field tests to see whether biological warfare would work outside the laboratory. Planes dropped plague-infected fleas over Ningbo in eastern China and over Changde in north-central China, and plague outbreaks were later reported.

Japanese troops also dropped cholera and typhoid cultures in wells and ponds, but the results were often counterproductive. In 1942 germ warfare specialists distributed dysentery, cholera and typhoid in Zhejiang Province in China, but Japanese soldiers became ill and 1,700 died of the diseases, scholars say.

Sheldon H. Harris, a historian at California State University in Northridge, estimates that more than 200,000 Chinese were killed in germ warfare field experiments. Professor Harris -- author of a book on Unit 731, "Factories of Death" (Routledge, 1994) -- also says plague-infected animals were released as the war was ending and caused outbreaks of the plague that killed at least 30,000 people in the Harbin area from 1946 through 1948.

The leading scholar of Unit 731 in Japan, Keiichi Tsuneishi, is skeptical of such numbers. Professor Tsuneishi, who has led the efforts in Japan to uncover atrocities by Unit 731, says that the attack on Ningbo killed about 100 people and that there is no evidence of huge outbreaks of disease set off by field trials. The Tradeoff Knowledge Gained At Terrible Cost

Many of the human experiments were intended to develop new treatments for medical problems that the Japanese Army faced. Many of the experiments remain secret, but an 18-page report prepared in 1945 -- and kept by a senior Japanese military officer until now -- includes a summary of the unit's research. The report was prepared in English for American intelligence officials, and it shows the extraordinary range of the unit's work.

Scholars say that the research was not contrived by mad scientists, and that it was intelligently designed and carried out. The medical findings saved many Japanese lives.

For example, Unit 731 proved scientifically that the best treatment for frostbite was not rubbing the limb, which had been the traditional method, but rather immersion in water a bit warmer than 100 degrees -- but never more than 122 degrees.

The cost of this scientific breakthrough was borne by those seized for medical experiments. They were taken outside in freezing weather and left with exposed arms, periodically drenched with water, until a guard decided that frostbite had set in. Testimony from a Japanese officer said this was determined after the "frozen arms, when struck with a short stick, emitted a sound resembling that which a board gives when it is struck."

A booklet just published in Japan after a major exhibition about Unit 731 shows how doctors even experimented on a three-day-old baby, measuring the temperature with a needle stuck inside the infant's middle finger.

"Usually a hand of a three-day-old infant is clenched into a fist," the booklet says, "but by sticking the needle in, the middle finger could be kept straight to make the experiment easier." The Scope Other Experiments On Humans

The human experimentation did not take place just in Unit 731, nor was it a rogue unit acting on its own. While it is unclear whether Emperor Hirohito knew of the atrocities, his younger brother, Prince Mikasa, toured the Unit 731 headquarters in China and wrote in his memoirs that he was shown films showing how Chinese prisoners were "made to march on the plains of Manchuria for poison gas experiments on humans."

In addition, the recollections of Dr. Ken Yuasa, 78, who still practices in a clinic in Tokyo, suggest that human experimentation may have been routine even outside Unit 731. Dr. Yuasa was an army medic in China, but he says he was never in Unit 731 and never had contact with it.

Nevertheless, Dr. Yuasa says that when he was still in medical school in Japan, the students heard that ordinary doctors who went to China were allowed to vivisect patients. And sure enough, when Dr. Yuasa arrived in Shanxi Province in north-central China in 1942, he was soon asked to attend a "practice surgery."

Two Chinese men were brought in, stripped naked and given general anesthetic. Then Dr. Yuasa and the others began practicing various kinds of surgery: first an appendectomy, then an amputation of an arm and finally a tracheotomy. After 90 minutes, they were finished, so they killed the patient with an injection.

When Dr. Yuasa was put in charge of a clinic, he said, he periodically asked the police for a Communist to dissect, and they sent one over. The vivisection was all for practice rather than for research, and Dr. Yuasa says they were routine among Japanese doctors working in China in the war.

In addition, Dr. Yuasa -- who is now deeply apologetic about what he did -- said he cultivated typhoid germs in test tubes and passed them on, as he had been instructed to do, to another army unit. Someone from that unit, which also had no connection with Unit 731, later told him that the troops would use the test tubes to infect the wells of villages in Communist-held territory. The Plans Taking the War To U.S. Homeland

In 1944, when Japan was nearing defeat, Tokyo's military planners seized on a remarkable way to hit back at the American heartland: they launched huge balloons that rode the prevailing winds to the continental United States. Although the American Government censored reports at the time, some 200 balloons landed in Western states, and bombs carried by the balloons killed a woman in Montana and six people in Oregon.

Half a century later, there is evidence that it could have been far worse; some Japanese generals proposed loading the balloons with weapons of biological warfare, to create epidemics of plague or anthrax in the United States. Other army units wanted to send cattle-plague virus to wipe out the American livestock industry or grain smut to wipe out the crops.

There was a fierce debate in Tokyo, and a document discovered recently suggests that at a crucial meeting in late July 1944 it was Hideki Tojo -- whom the United States later hanged for war crimes -- who rejected the proposal to use germ warfare against the United States.

At the time of the meeting, Tojo had just been ousted as Prime Minister and chief of the General Staff, but he retained enough authority to veto the proposal. He knew by then that Japan was likely to lose the war, and he feared that biological assaults on the United States would invite retaliation with germ or chemical weapons being developed by America.

Yet the Japanese Army was apparently willing to use biological weapons against the Allies in some circumstances. When the United States prepared to attack the Pacific island of Saipan in the late spring of 1944, a submarine was sent from Japan to carry biological weapons -- it is unclear what kind -- to the defenders.

The submarine was sunk, Professor Tsuneishi says, and the Japanese troops had to rely on conventional weapons alone.

As the end of the war approached in 1945, Unit 731 embarked on its wildest scheme of all. Codenamed Cherry Blossoms at Night, the plan was to use kamikaze pilots to infest California with the plague.

Toshimi Mizobuchi, who was an instructor for new recruits in Unit 731, said the idea was to use 20 of the 500 new troops who arrived in Harbin in July 1945. A submarine was to take a few of them to the seas off Southern California, and then they were to fly in a plane carried on board the submarine and contaminate San Diego with plague-infected fleas. The target date was to be Sept. 22, 1945.

Ishio Obata, 73, who now lives in Ehime prefecture, acknowledged that he had been a chief of the Cherry Blossoms at Night attack force against San Diego, but he declined to discuss details. "It is such a terrible memory that I don't want to recall it," he said.

Tadao Ishimaru, also 73, said he had learned only after returning to Japan that he had been a candidate for the strike force against San Diego. "I don't want to think about Unit 731," he said in a brief telephone interview. "Fifty years have passed since the war. Please let me remain silent."

It is unclear whether Cherry Blossoms at Night ever had a chance of being carried out. Japan did indeed have at least five submarines that carried two or three planes each, their wings folded against the fuselage like a bird.

But a Japanese Navy specialist said the navy would have never allowed its finest equipment to be used for an army plan like Cherry Blossoms at Night, partly because the highest priority in the summer of 1945 was to defend the main Japanese islands, not to launch attacks on the United States mainland.

If the Cherry Blossoms at Night plan was ever serious, it became irrelevant as Japan prepared to surrender in early August 1945. In the last days of the war, beginning on Aug. 9, Unit 731 used dynamite to try to destroy all evidence of its germ warfare program, scholars say. The Aftermath No Punishment, Little Remorse

Partly because the Americans helped cover up the biological warfare program in exchange for its data, Gen. Shiro Ishii, the head of Unit 731, was allowed to live peacefully until his death from throat cancer in 1959. Those around him in Unit 731 saw their careers flourish in the postwar period, rising to positions that included Governor of Tokyo, president of the Japan Medical Association and head of the Japan Olympic Committee.

By conventional standards, few people were more cruel than the farmer who as a Unit 731 medic carved up a Chinese prisoner without anesthetic, and who also acknowledged that he had helped poison rivers and wells. Yet his main intention in agreeing to an interview seemed to be to explain that Unit 731 was not really so brutal after all.

Asked why he had not anesthetized the prisoner before dissecting him, the farmer explained: "Vivisection should be done under normal circumstances. If we'd used anesthesia, that might have affected the body organs and blood vessels that we were examining. So we couldn't have used anesthetic."

When the topic of children came up, the farmer offered another justification: "Of course there were experiments on children. But probably their fathers were spies."

"There's a possibility this could happen again," the old man said, smiling genially. "Because in a war, you have to win."

A version of this article appears in print on March 17, 1995, Section A, Page 1 of the National edition with the headline: Unmasking Horror -- A special report.; Japan Confronting Gruesome War Atrocity.

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まぁ、旧日本軍の731部隊は突然現れたわけではない。キリシタンとかひえもんとり、長崎の出島貿易、徳川家康の日光例幣使街道を経て、明治維新と渋沢栄一を経て、その延長線上にカンニバル・ラーメンが実在するわけねw

カニバリズム・カーストを無視して人喰いに走ると免疫力は落ちるは、がんになるわ、パーキンソン病、アルツハイマー、多発性硬化症、狂牛病、ALS、クールー病、プリオンに起因する病気になるわ、もうたいへんよw

そこで経産省はカニバリズム症状を放射能で誤魔化す政策を発案。これは人肉を喰らったカニバリズム症状ではなく、原発から漏れた放射能が原因なのだとw。この政策は日本で大ヒットした。狭い地震列島に50基以上も原発が建設されたのだw。

あべちんも高級レストランの肉料理に気をつけるだけで潰瘍性大腸炎は全快すると思われw

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