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真言宗総本山「東寺」の交差点で清掃車とタクシーが事故…w update9

運転の「容疑者意識失っていた」 京都の7人死傷事故、同乗者証言
2019/8/21 20:12 (JST)8/21 20:43 (JST)updated ©一般社団法人共同通信社
 京都市南区の国道1号交差点で1人が死亡、6人が負傷した事故で、自動車運転処罰法違反(過失傷害)の疑いで逮捕された会社員中山茂蔵容疑者(45)=京都府宇治市=の清掃車に同乗していた男性が「(容疑者が)意識を失っていた」と証言していることが21日、南署への取材で分かった。署は既往歴などを慎重に調べる。
 署によると、同乗者は「交差点の手前から蛇行したためブレーキを踏むように伝えたが、反応がなかった」という趣旨の説明をしている。中山容疑者はそのまま赤信号の交差点に進入した疑いがある。ブレーキ痕はなかった。

清掃車が信号無視か…1人死亡6人重軽傷 清掃車とタクシーが歩行者巻き込む事故 更新:2019/08/21 13:34
 京都市の国道で清掃車やタクシーなどが絡む事故があり、歩行者などが巻き込まれて、76歳の男性が死亡、6人が重軽傷を負いました。
 警察によりますと8月21日午前9時半ごろ、京都市南区の国道1号の交差点で北進していた清掃車がタクシーの側面に突っ込む事故がありました。清掃車とタクシーは歩道に乗り上げて、歩行者など3人を巻き込み、電柱にぶつかって止まりました。
 この事故でタクシーの乗客の松浦邦彦さん(76)が死亡した他、自転車に乗っていた60歳の女性が重傷、5人が軽傷です。
 警察は清掃車が赤信号で交差点に進入したとみていて、運転していた中山茂蔵容疑者(45)を過失運転傷害容疑で現行犯逮捕しました。現場は世界遺産・東寺の近くの交差点で縁日が開かれていました。

清掃車とタクシー衝突、歩行者巻き込む 1人心肺停止2人重傷 京都市 毎日新聞2019年8月21日 12時04分(最終更新 8月21日 12時41分)
多重事故の現場=京都市南区で2019年8月21日午前11時2分、本社ヘリから
 21日午前9時20分ごろ、京都市南区四ツ塚町の国道交差点で、道路清掃車とタクシーが衝突し、2台とも弾みで歩道に突っ込んで歩行者3人を巻き込む事故があった。市消防局によると、70代男性が心肺停止となり、女性2人が頭部を切るなどの重傷、男女4人が軽傷を負った。
京都市南区の事故現場(左下)と東寺(右上)=2019年8月21日午前11時3分、本社ヘリから
 現場は東寺の南西角に位置する交差点。消防や京都府警によると、清掃車が国道1号を北進、タクシーが九条通を東進していたとみられる。タクシーは44歳男性が運転し、客として78歳男性と50歳女性が乗っていた。
 現場近くに住む女性は「ドーンという音がした後、クラクションが鳴りっぱなしになっていた。タクシーは東に走ってきたようだ。倒れている人が蘇生の処置を受けていた」と話した。【添島香苗、南陽子】



空海の密教の真言宗総本山「東寺」か…

シュールだわw

お経のチーンてのはピアノの調弦に使う音叉と同じ用途。

空海の密教の奥義は440Hzだ。BMI兵器。

真言宗の声明(しょうみょう)の440Hzでヒトを発狂させるってか? )産総研のドラえもんw


toji.or.jp→東寺 – 世界遺産 真言宗総本山 教王護国寺
toji.or.jp→東寺の歴史|東寺 – 世界遺産 真言宗総本山 教王護国寺

東寺の歴史 History of Toji
昭和9年/1934年の東寺全景
平安京が遷都されたとき、寺院の建立は、東寺と西寺しか許されませんでした。 西寺も羅城門も、時の流れに消え、現存する平安京の遺構は、唯一、東寺だけになりました。
平安時代・一
平安京に左右対称に配置された東寺と西寺
平安京復元模型 京都市歴史資料館所蔵
延暦13年、794年。桓武天皇により築かれた平安京は、時代の最先端をゆく都市でした。
都の正門、羅城門から北へまっすぐに朱雀大路が伸び、その先に壮麗な大内裏だいだいりがありました。その羅城門を挟んで、両翼を広げたように建立されたのが、東寺と西寺です。
東寺は国の東の王城鎮護、西寺は国の西の王城鎮護を担う、官寺でした。緑色をした緑釉瓦りょくゆうがわらに朱の柱、白壁の大伽藍だいがらんは、新しい首都を象徴するものでした。
東寺/平安京復元模型部分 京都市歴史資料館所蔵
平安時代・二
弘法大師空海と東寺の出会い 密教寺院の誕生
曼荼羅から抜け出した密教の仏さま 左・金剛界の大日如来 右・胎蔵界の大日如来
平安遷都より29年目の冬、桓武天皇のあとに即位した嵯峨天皇は、唐で密教を学んで帰国した弘法大師空海に、東寺を託します。ここに真言密教の根本道場こんぽんどうじょう東寺が誕生します。
弘法大師空海は、まず、密教の中心伽藍となる講堂の建立に着手しました。講堂建立の翌年には、塔建立の材木を東山から運搬して欲しいと、朝廷に願い出た記録が残っています。このことから五重塔の工事は、この頃、はじまったといわれます。
こうして、弘法大師空海は大伽藍建立の大事業をはじめました。いまの東寺は、弘法大師空海がこのとき計画した通りの姿といえるでしょう。

重要文化財 弘法大師行状絵詞 第8巻(東寺勅給)南北朝時代
鎌倉時代
 天福元年、1233年のできごと
国宝 兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)立像 唐時代 木造
源氏と平家の合戦が起こり、平安時代も終わりに近づきます。羅城門は崩れ落ち、東寺、西寺ともに衰退の一途をたどります。やがて、時代が鎌倉へと移り、東寺に復興の兆しが見えてきます。
文覚上人もんがくしょうにんの依頼を受け、運慶うんけいが諸像の修復に着手。天福元年、1233年には、運慶の子、仏師康勝こうしょうにより弘法大師空海の坐像が完成。御影堂みえいどうで法要がはじまりました。さらに、後白河法皇の皇女、宣陽門院せんようもんいんが財政の基盤をつくり、東寺は息を吹き返していきました。
一方、西寺は、天福元年、1233年に境内に唯一残っていた五重塔が焼失。以後、西寺が復興することはありませんでした。
室町時代・戦国時代
戦乱の痕跡 そして炎上
重要文化財 東大門 鎌倉時代
東大門は、別名、不開門あかずのもんと呼ばれています。なぜ、そう呼ばれることになったのか。答えは、その門に残る矢の痕跡と無関係ではありません。
南北朝時代、足利尊氏は東寺に陣を置き、新田義貞にったよしさだと戦火を交えました。戦場は都から、東寺の近くへと移っていきました。そのとき、足利軍は、東大門の扉を固く閉ざし危機を脱したといわれます。このことから、東大門は不開門といわれるようになりました。東大門には、いまも戦乱の傷痕が残っています。
その後、東寺は、幾多の戦火をかいくぐり、応仁の乱の戦禍も免れることができました。しかし、文明18年、1486年に起こった文明の土一揆で金堂、講堂、廻廊かいろうや南大門なんだいもんなどを焼失。東寺創建以来、もっとも大きな痛手を被った事件でした。
江戸時代
よみがえった東寺
金堂の重要文化財 薬師如来坐像と日光菩薩立像
文明の土一揆のあと、復興できるだろうか、と思われた東寺でしたが、桃山時代になると、焼失した金堂が約100年ぶりに再建。新しい金堂に新しい薬師如来、日光菩薩、月光菩薩も誕生しました。続いて南大門も完成し、焼失後、すぐに再建した講堂も含めて、東寺は、ほぼ元の姿になりました。
その後、落雷によって五重塔が焼失しますが、それも寛永21年、1644年に再建。また、徳川家康は、東寺の子院しいんである観智院かんちいんを、真言一宗の勧学院に定めました。
現代
はじめて開かれた東寺の扉
平成21年の後七日御修法(ごしちにちみしほ) 結願(けちがん)の風景
その時代、時代を生きた人々によって復興を遂げてきた東寺でしたが困窮が続いた時代もありました。しかし、そのなかにあっても法要は続けられ、僧をはじめとして、多くの人々によって東寺は守られてきました。
そして、昭和40年、1965年、秘仏公開。固く閉ざしていた金堂、講堂の扉が開きました。それは、平安時代へと続くタイムカプセルが開けられた瞬間でもありました。
一般公開された講堂の国宝 五大明王像

お東さん・大谷暢顕門首退任へ 身体的衰え理由 後任は鍵役・暢裕氏 毎日新聞2019年8月21日 13時00分(最終更新 8月21日 13時00分)
2020年6月末で退任する大谷暢顕・真宗大谷派第25代門首=京都市下京区の東本願寺で、懸尾公治撮影
 真宗大谷派(本山・東本願寺、京都市下京区)の大谷暢顕(ちょうけん)門首(89)が来年6月30日付で退任することが21日、明らかになった。すでに同派幹部らに意向を伝えている。後任には暢顕門首のいとこで「鍵役」(門首補佐)の暢裕(ちょうゆう)氏(68)が来年7月1日付で就任する見込み。

真宗大谷派の次期門首となる大谷暢裕さん=京都市下京区の東本願寺で2015年4月22日午後2時24分、森園道子撮影
 暢顕氏は故光暢24代門首の三男。宗派内の確執が表面化した「お東騒動」の結果、1996年に25代門首に就任した。関係者によると、暢顕門首は今夏の同派行事の際、高齢による身体的衰えを自覚し退任の意向を固めたという。昨年7月に軽度の脳梗塞(こうそく)となり入院し、同9月に退院していた。
 暢裕氏は2014年4月に次期門首になることが決まっていた。【矢倉健次、中津川甫】
若いw、89才w

真宗大谷派の暢顕門首、20年6月末退任 後継は暢裕氏

大谷暢裕氏(左)、大谷暢顕氏(右)
 真宗大谷派(本山・東本願寺、京都市下京区)は21日、来年6月30日で大谷暢顕(ちょうけん)門首(89)が退任し、いとこで門首後継者の大谷暢裕(ちょうゆう)氏(68)が同7月1日に26代門首に就任すると発表した。2023年に迎える宗祖親鸞生誕850年と立教開宗800年の慶讃法要は新たな門首が執り行う。
 暢顕門首は昨年7月に体調不良で入院し、療養とリハビリを経て同11月に復帰した。その後は、登高座への登壇を伴う報恩講や宿泊が必要な法要を暢裕氏が代理で務めており、暢顕門首は今年7月に但馬弘宗務総長らに「後継に門首としての任を継承してもらうことが最良」と退任の意向を伝えた。慶讃法要に向けた準備が進められる中、来年3月で90歳となる年齢も考慮したという。
 意向を受けて宗派は今月20日、「継承審議会」を開催し、暢顕門首の退任と暢裕氏の門首就任の期日を決めた。同派の報恩講が始まる前日の11月20日に門首継承式を行う予定。
 1996年に就任した暢顕門首は、大谷家と宗派が激しく対立した「お東紛争」を経て81年に成立した宗派の「憲法」に当たる新たな「宗憲」の下で就任した初めての門首。暢裕氏はブラジル国籍を有し、門首後継者となった後の2015年3月から京都で暮らしている。暢裕氏の就任に伴い、長男の裕(ゆう)氏(33)は「新門」となる。
(太田敦子)
【 2019年08月22日 10時05分 】

若いw。これで89才。カニバリズムだわ…
どんなヒトを何人くらい、どこを喰ったのか、正確に白状して往生してほすい…
とくに同化(assimilate)現象は本当におきるのか?とか、クールー病をどうやって回避したのかもw

【プラザ合意】佃亮二(つくだりょうじ)元ニチギン理事が頭に打撲痕があったのに「水深50㌢~1㍍の場所」で溺死w←ふつうにアソーだわw

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