弁財天

ゴフマン「専門家を信じるのではなく、自分自身で考えて判断せよ」

杉木明子教授とポートアイランド update7

京コンピュータとオボカタの理研は同じとこ。杉木明子教授も。ビートたけし監修のファミコンゲーム「ポートピア連続殺人事件」を思い出したぞ。
ひょっとしてこれもトヨタと同じワナかよ。
おい、安部。ポートアイランドにも秘密保護法発令しるw

「憎悪、後藤さん望まず」=親交の教授、冷静さ訴え-危機管理「現地に人脈を」

過激組織「イスラム国」がフリージャーナリスト後藤健二さんを殺害したとする映像が公開されて8日で1週間。後藤さんと10年以上親交があった神戸学院大の杉木明子教授(国際政治学)は「情報が交錯している上、殺害の経緯に不可解な点も多い。残酷な映像などで国際的に憎悪だけが強まっている」と指摘。「後藤さんは憎しみが生む差別と闘ってきた人。絶対に今の状況を望んでいない」と事態を冷静に捉える必要性を強調する。
 事件を受け、紛争地への渡航は自粛すべきだとの意見も聞かれる。杉木さんは「世界各地で苦しむ人々に光を当ててきた後藤さんの志に反する」と反論。ジャーナリストや研究者が渡航を自粛すれば現地の人脈が弱まり、政治情勢など一般の日本人にも危機管理上必要な情報が入手できなくなると危惧する。
 自らも紛争国で難民を調査している杉木さんは、危機管理で最も重要なのは、現地の人々から情報を得ることだと指摘する。
 アフリカのウガンダで調査した際、杉木さんは現地の警察や村の信用できる人たちとできるだけ世間話をし、危険地域の情報を入手するようにした。知人から「この辺りでゲリラ兵が出没した」との情報を得て危険を回避したこともあった。
 杉木さんは「日系企業は現地採用の社員の待遇に配慮するなど、友好関係を築くことが最も効果的な安全策」と提案する。「イスラム国の『劇場型』の手法に惑わされてはいけない。できるだけ情報を集め、『誰が最も得をしているか』など、さまざまな視点を基に自分の見方をつくってほしい」と話した。(2015/02/07-05:35)
杉木明子教授「情報が交錯している上、殺害の経緯に不可解な点も多い。残酷な映像などで国際的に憎悪だけが強まっている」
アフリカのウガンダで調査w
「イスラム国の『劇場型』の手法に惑わされてはいけない。できるだけ情報を集め、『誰が最も得をしているか』など、さまざまな視点を基に自分の見方をつくってほしい」 杉木明子教授「常に弱者に寄り添って取材をしてきた後藤さんがこういう形でその機会を閉ざされてしまったことが本当に残念です」

田母神が在日認定したり、デヴィが自決しろとか、孫が産まれたことを知らなかった母とか、このへんに杉木教授が何か言うべき。

自身がもう冷静じゃない。当事者だからな。でもこのイスラム国™事件こそ国際政治学で研究するべき対象と思うのだけど。

後藤さんの知人の教授「本当に残念」

2月2日 21時37分
イスラム過激派組織「イスラム国」による日本人殺害事件について、後藤健二さんと交流してきた神戸学院大学の杉木明子教授は「常に弱者に寄り添って取材をしてきた後藤さんがこういう形でその機会を閉ざされてしまったことが本当に残念です」と話しています。

杉木教授は国際政治学が専門で、後藤さんと中東やアフリカの情勢を巡って交流があり、去年12月に予定していたシリアの内戦などに関する講演会の講師を後藤さんに依頼していました。 しかし、去年10月3日に、後藤さんからメールで「今、シリアに取材に入っています」と連絡が入り、その後、24日に「11月に対応します」という内容のメールが来たのを最後に、連絡が取れなくなったということです。 杉木教授は2日、NHKのインタビューに応じ、「最悪の結果になってしまい本当にやりきれない気持ちです」と話しました。 そのうえで、「後藤さんは常に紛争などで虐げられてきた弱者に寄り添って取材をしていました。もっとさまざまなことを伝えてほしかったのに、こういう形でその機会が閉ざされてしまったことが本当に残念です。後藤さんの思いや志をできる範囲で受け継いでいきたい」と話しています。

「イスラム国」人質の後藤さん 親交あった神院大教授語る

「伝えるためには、生きて帰らないといけない」。イスラム国とみられるグループに拘束されたフリージャーナリスト後藤健二さん(47)は、常にそう話していたという。「自らの身を守る慎重さを持ち合わせていたが…」。身代金支払「期限」が迫る中、親交のある神戸学院大法学部の杉木明子教授(国際政治学)は不安を募らせる。

 杉木教授への最後の連絡は、昨年10月24日午後3時前。12月に、同大で後藤さんの公開講演会を計画しており、演題などを尋ねるメールへの返事だった。〈11月3~5日に返信します〉と書かれていた。

 だが、「返信」は届かず、携帯電話も通じなくなった。後藤さんは最後のメールの直後の10月25日、イスラム国の支配地域に入ったとされる。「11月3日ごろには安全な地域に戻れると想定していたのでは」と話す。

 ただ、不可解さはぬぐえない。拘束されていた湯川遥菜さん(42)を捜すのが目的だったとも伝えられるが、「取材でも危険な一線は越えなかった。一人で救出ができるとは考えられず、何か理由があったのではないか」。

 出会ったのは、杉木教授が難民調査に訪れていた2004年のアフリカ・ザンビア。「現地の人の目線を大事にし、弱い立場の人たちの声に耳を傾ける」取材姿勢に共感した。09~10年には、杉木教授が代表のソマリア沖海賊問題に関する研究会にも参加。09年には同大学で講演もした。

 「政府にイスラム国とのパイプがあるのか」と懸念する杉木教授。「後藤さんならイスラム国を『悪』と決めつけた取材はしない。一刻も早い解放を祈りたい」

(武藤邦生)

「政府にイスラム国とのパイプがあるのか」と懸念する杉木教授。「後藤さんならイスラム国を『悪』と決めつけた取材はしない。」
「後藤健二さんの写真を見ながら、不安を募らせる杉木明子教授=神戸市中央区港島1 」 ぐげ。ポートアイランドキャンパスか。

後藤さん知人「誰かにだまされたのでは」

「イスラム国」とみられるグループに拘束されたジャーナリスト後藤健二さん(47)の知人からは21日、「交渉は進んでいるのか」「心配で眠れない」との声が上がった。殺害を警告するビデオが表に出てから丸1日が経過。依然として情報は乏しく、関係者は不安を募らせる。

 「政府には、イスラム国とのあらゆるパイプを使ってほしいが…」。神戸学院大の杉木明子教授はつぶやく。

 後藤さんと知り合ったのは、ザンビアの難民問題を現地で調査していた2004年。子どもにも政府関係者にも同じ態度で接する姿が印象的だったという。「最も過酷な状況にある弱い立場の人にじっくり話を聞き、なぜこんなことが起きたのか知ろうとしていた」

 その後も交友を続けてきたが、連絡は昨年10月24日に届いたメールが最後に。神戸学院大でのシリア情勢の講演について「11月3日~5日に連絡する」と記されていた。

 現地ガイドの証言では、後藤さんはシリア北部の村で昨年10月25日にガイドと別れ、湯川遥菜さん(42)を捜すためイスラム国が「首都」とする北部ラッカへ向かったとされる。

 だが杉木さんは「事実であれば、約10日間で問題を解決できると判断していたことになるが、現地の状況を考えれば難しい。誰かにだまされたのではないか」。

 元長崎県議の浅田真澄美さんは「72時間の期限を考えると気がかりで眠れない」。10年に、後藤さんらが長崎原爆資料館で開いた平和に関するイベントを支援した。「信念を持ったジャーナリスト。軽い気持ちでは現地に行かない。テロに屈するべきではないという政府の姿勢は大切だと思うが、何とか解決してほしい」と願った。(共同)
 [2015年1月21日20時7分]

杉木教授「事実であれば、約10日間で問題を解決できると判断していたことになるが、現地の状況を考えれば難しい。誰かにだまされたのではないか」

ISILのテロで思い出される“イラク3馬鹿”の罪と現在

2015年2月7日 7時50分 DMMニュース
「イスラム国」(ISIL)による邦人2名殺害の悪夢は、いまも覚めやらない。犠牲者の冥福を祈ると共に、ISILへの世界の怒り(注1)も日ごと高まっている。

 2004年10月末のイラクでも、そうだった。<イラクの聖戦アルカイダ組織>を名乗るグループが、日本人青年Kさんを拉致してイラクからの自衛隊撤退を要求。「テロリストと交渉せず」の原則を守った当時の政権(小泉純一郎首相)にアテつけるように、テロリストたちはKさんを斬首して殺害した。

 この時も今回も、結果的に人命が失われたことは残念でならない。しかしテロリストと交渉したり、条件を飲んだりすれば、より多くの人命を危険にさらす。ゆえに交渉厳禁とされるのも、また冷徹な真実だ。

 ……となると、この手の事件の中で違う経過、結果を辿った異様なケースが逆に思い出される。Kさんの殺害事件から遡ること数ヶ月の2004年4月、3人の日本人がイラクで拉致された。俗に言う<イラク3馬鹿事件>、あれは一体何だったのか? 

 覚えている向きも多かろう。当時、イラクの武装勢力に拉致されたのはフォトジャーナリストのK・Sさん(32=当時)、女性ボランティアのT・Nさん(34=当時)、高校生のI・N君(18=当時)の3人。最初は心配していた世論も、家族がイデオロギー色満載の政府批判会見(注2)を開いたことで一変。彼ら自身のサヨク的、反日的活動も明らかになって、完全に「自己責任だろう。ほっとけ」という雰囲気が出来上がった。

 詳細は省くが、結果的に彼ら3人は8日後に開放されて帰国。当時から「日本政府が秘密裡に裏金を犯人に渡した」「家族の反政府会見など手際が良すぎ、他にも怪しい部分が山積。そもそも自作自演では」などと噂され、「3馬鹿(注3)」は手厳しいバッシングを受けた(注4)。 イラク日本人拘束事件の功罪とは

 今回の事件でも犠牲者に対して「自己責任だ」という意見が一部に出たが、始まりは3馬鹿だったのだ。それにしてもK青年も、ISILの手にかかった2人も、同じようなことをやって命を落としてしまったのだから、運不運で片づけるには差が大きすぎる。

 無論「3馬鹿も殺されれば良かった」とまでは言わないが、<何らかの狙いでわざわざ危険地帯に赴く>という方法論を広めてしまった罪は重い。せめて彼らが、かつての体験を反省して賢明な人になっていてくれれば救われるのだが、しかし……。

「どんな状況下でも政府は国民を守らなければならない」と今回の事件に関してI・N君は語り、T・Nさんは性懲りもなくヨルダンに滞在していた。やはり、生きているうちは治らないものなのか。

(注1)世界の怒り…まともなイスラム教徒は怒っている。彼らとISILを混同してはいけない。
(注2)政府批判会見…なぜか犯人を批判せず、自衛隊のイラク撤退を要求する異様なものだった。
(注3)3馬鹿…大変失礼ながら、定着している呼称を使わせて頂いた。
(注4)バッシング…実際、T・Nさんが飴を舐めながら取材を受けるなど、非常に態度が悪かった。
著者プロフィール
コンテンツプロデューサー
田中ねぃ
東京都出身。早大卒後、新潮社入社。『週刊新潮』『FOCUS』を経て、現在『コミック&プロデュース事業部』部長。本業以外にプロレス、アニメ、アイドル、特撮、TV、映画などサブカルチャーに造詣が深い。DMMニュースではニュースとカルチャーを絡めたコラムを連載中。愛称は田中‟ダスティ”ねぃ

「日本政府が秘密裡に裏金を犯人に渡した」「家族の反政府会見など手際が良すぎ、他にも怪しい部分が山積。そもそも自作自演では」
なんだかなー。2004年の3バカ自作自演作戦をCGを駆使して焼き直しただけだ。

下田の海自音楽隊w。あ、白い制服と一緒に写ってたプロフィール写真とともにFBアカウント消えーたw これが賛同する理由かもね。これ これ

海自だから田母神の支持者で次世代の党つながりでデヴィを支持だな。
これが瀬戸際スピンの理由か。つまり田母神のテロハケン部隊として遥菜とJOGOが行かされ、イスラム国™に処刑された事実は致命的だとデヴィも海自音楽隊のおっさんも痛感してるってことだね。

デヴィはなんで田母神支持なの?
デヴィ・スカルノ

「1959年(昭和34年)、19歳のときに、…「東日貿易の秘書」という名目で、スカルノ大統領のもとに送り込まれた[1]。この一件に当時「昭和のフィクサー」と呼ばれた暴力団関係者の児玉誉士夫が関わっていたとされる。」
あ?昭和30年代から海自と暴力団はつながってるのか。

北九州市漁協組合長殺人事件思い出した。同じ人達がやってる。

デヴィ→児玉誉士夫→岸信介→安倍晋三ですな。

田母神からはじまってデヴィ自決発言、それを支持する次世代の党支持の海自音楽隊、、あべしのエジプト挑発演説と遥菜とJOGOの処刑。何か今回の出来事で、あべしは英紙が言ってるように憲法見直しの取り組みを本当に「台無し」にしてるw 憲法9条を守る「積極的平和主義」の誕生だー。

結果的にあべしは「【主張】安倍首相と憲法  『9条を死守せよ』  「国の責務」全うする証し」になった。世耕1984の話を聞いてから、産経てダブルシンク新聞なのか?などと妄想ちう。

たった3日でトーンダウンしたw

と涙したひとは、 戦争のできる国
戦争のできる国
日本を「戦争のできる国にしようとしている」と安倍政権を批判する声があちこちで聞こえています。そのたびに本当にそうなのかなと思ってしまいます。

たしかに国家安全保障会議(NSC)やら特定秘密保護法やらと来て、次は集団的自衛権の解釈変更からやがては憲法改正まで照準に入れた安倍首相ですが、いかな諸外国から「国粋主義者」と罵られても、その国家運営の目的が「戦争するため」だなんて信じられません。そんなのは狂人です。安倍さんは頭は悪いかもしれませんが狂人には見えません。

じゃあなぜこうも強権的に日本の進路を変えようとしているのか? どうにか考えてみるとそれはどうもきっと日本を「美しい国」にするためです。「結果的に美しくなるんだから(多少ゴリ押しがあったって)いいじゃないか」というわけです。それが「決める政治」というわけです。

でも「美しさ」というのは人によって違います。安倍さんにとっての「美しさ」とは何なのでしょう? それを考えなければ安倍さんの意図するところはわからないままです。

自著「美しい国へ」から簡単に引用しましょう。

「個人の自由を担保しているのは国家なのである」 「自分の帰属する場所とは、自らの国をおいてほかにはない」 「(旅行先での外国人)は、わたしたちを日本人、つまり国家に帰属している個人であることを前提としてむき合っているのである」

──そう書いて、安倍さんは映画「三丁目の夕日」を例に挙げます。「みんなが貧しいが、地域の人々はあたたかいつながりのなかで、豊かさを手に入れる夢を抱いて生きていく」「いまの時代に忘れられがちな家族の情愛や、人と人とのあたたかいつながりが、世代を超え、時代を超えて見るものに訴えかけてきた」

ツッコミたいところは満載ですがまあそれは抑えて1つだけ。私は昭和30年代を知っていますが、それはあの映画に描かれたほど温かくも優しくもなかった。選挙違反は現金が動いて酷かったし、暴力団は幅を利かし、役人の賄賂や情実は横行していた。障害者は(今と同じく)差別され、女性は軽んじられ、親の命令は絶対だった。「三丁目の夕日」が描いた和やかさ、朗らかさの後ろには「生きる」(昭和27年公開ですが)で描かれたあのドブや掃き溜めの沼が偏在していたのです。だからこそひとびとはほんのちっぽけな幸せやささやかな喜びにでも大きくすがるようにして生きていたのです。

そんなひどい時代にそれでも「偉かった」のは「先生」と「親」でした。「先生」とは政治家や医者や弁護士や、とにかくそういう人たちすべて。「親」は会社の社長や暴力団の親分や町内会の会長やそういう身内的な偉い人も含みます。そう、あの時代は「社会」と「家」とが相似形に重なっているようで、「家父長」的な人たちの力が強かったのです。

「三丁目の夕日」が娯楽として存在するには、そんな「親」で「社長」の堤真一の役回りを徹底してコミカルに描くことが必要でした(吉岡秀隆はハナから権威とは無縁に描かれていました)。もちろん実際の昭和30年代にもああいうコミカルな人はいました。けれどその上にはコミカルではない社会が厳然として存在していたのです。

つまり「三丁目の夕日」は、そうした昭和30年代的な「権力」の絶対を相対化しなければ、あるいはその「権力」を存在しないものとしていなければ、あれほどに朗らかにはなれなかったのです。

そう、昭和30年代は強い父親がいてさまざまな困難にも即断対応しようとしていた、そんな時代の名残のような時でした。そんな伝統的な「家」を基本にした立派な国家の最後の光芒。それが60年安保(昭和35年)の学生運動やビートルズが来た1966年(昭和41年)あたりから揺らぎ始めるわけです。

世の中はそう単純じゃないとわかってきたのが昭和40年代からの日本でした。高度成長のせいもあっていろんな個人が自信を持ち始めたのかさまざまに勝手に声を出し始め、ゴチャゴチャうるさいことこの上ない。公共事業で道路つくって公民館つくって箱モノを与えてやればよいだけだった政治もだんだんそれだけじゃあ済まなくなった。ああ、美しくない。

そうやって考えた結果が、もう一回国家がしっかりすれば個人もしっかりするはずだという倒錯です。そして「ゴチャゴチャ国家」の元凶を現行憲法に求める。それは個人より公共、自由より秩序、権利より責務と明記されている自民党の憲法改正草案を見ると明らかです。

これってまさに伝統的な姿である家制度=父権主義=「父さんの言うことは黙って従いなさい」です。伝統的な家を基に国家を考えると、いまの自民党が夫婦別姓に反対するのも、嫡子差別を(違憲判決にも関わらず)当然と考えるのもわかります。それはとてもスッキリとわかりやすく、美しく見える。国家は父親なのです。国家は「国」と「家」とをつなげた概念なのです。

このときあるべき「父親」の姿が見えてきます。国民を守り、国民が帰属すべき国家。子供を守り、子供が帰ってくるべき家。安倍さんの「美しい国へ」にもそう書いてある。そしてそんな家の父親はもちろん押し売りや強盗という外患にも毅然と対応しなくてはならない。それは父親の男気です。誇るべき美しいマチズムです。だからこそ外国に行ったときに名乗るべき名前は、あなた個人を識別するファーストネームなんかよりも先に、あなたを庇護している「日本」という苗字であるべきなのです。

ああ、わかった。安倍さんを批判する「国家主義者」とか「戦争のできる国」とかいうのはまわり回ってそういうことなんだ。外患に対してバットを用意するマッチョな在り方の別名なんだ。安倍さんのすべては、この善意の「男性主義的家父長制国家」への、美しさの幻想から来ているのだ。あの人は男らしいのが好きなんだ。ただこの日本を「オトコらしい」「一丁前の」国家にしたいだけなんだ。「オトコらしい国」ってのがたまたま「戦争もできる国」ってことなんだ。その「オトコの美学」が「美しい国」ってのにつながってるんだ。

──と見切ったつもりでいたら12月14日、都内のホテルで開かれた安倍首相夫妻主催の東南アジア諸国連合(ASEAN)首脳晩餐会、余興として登場したのはミニスカートの制服もまぶしいAKB48の面々でした。

ASEAN_AKB48.jpg

ごめんなさい。

延々と論を連ねて安倍さんの主義主張を家父長制度に根ざしたものだと言ってきたのに、それはじつは「男性主義」「父権主義」ではなくて単なる「オヤジ趣味」だったのかもしれません。

……ま、同じことかもしれませんが。

Posted by kitamaru on December 17, 2013 02:42 AM | Permalink

こんなひと。

種明かし?w

「自民党神戸」市議10人が政務活動費を市議選の資金に不正流用、公職選挙法で失職の危機に瀕した。するとキーパーソンの大野一市議がタイミングよく病死するという。あとは死人に口なし。さすがコーベ。


そして、神戸
おー、。1972年11月15日に発売かぁ。

1972年2月19日 【日本赤軍】あさま山荘事件発生
1972年2月26日 外務省で日仏原子力協定締結
1972年2月28日 ニクソン米大統領とキッシンジャー補佐官が北京を訪問し、周恩来首相との間で対日政策「東アジア地域において日本だけは核武装させない」密約を交わす。

まさに米から仏に切り替えたからですな。闇の核武装のウソのつける相手に仏の再処理を選んだってことなんでしょーか?

夢の続き 見せてくれる
相手 捜すのよ

誰か うまい 嘘のつける
相手 捜すのよ

すっげーじゃん。この歌に込められたメッセージw

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