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【るるちゃんの自殺配信】投資ジャーナルの中江滋樹元会長が「佐川急便、稲盛和夫、パソナ、禿」について書きはじめたらアパートで焼死してしまう… update5

首都圏 NEWS WEB 投資ジャーナル元会長火事で死亡 02月25日 13時57分
「兜町の風雲児」と呼ばれ、平成元年に株式投資をめぐる「投資ジャーナル事件」で実刑判決を受けた中江滋樹元会長が今月、東京・葛飾区のアパート火事で死亡したことが警視庁への取材でわかりました。
今月20日、葛飾区南水元のアパートで火事があり、火元の部屋から1人が遺体で見つかりました。 警視庁によりますと、死亡したのは投資顧問会社「投資ジャーナル」の中江滋樹元会長(66)と確認されたということです。 中江元会長はこの部屋に1人で住んでいて、遺体が見つかった付近には、たばこの吸い殻が散乱していたということです。 警視庁はたばこの不始末が原因とみて調べています。 中江元会長は昭和50年代に「兜町の風雲児」と呼ばれ、株式投資をめぐって多くの投資家が現金をだまし取られた「投資ジャーナル事件」で平成元年に実刑判決を受け、服役しました。

「中江元会長はこの部屋に1人で住んでいて、遺体が見つかった付近には、たばこの吸い殻が散乱していたということです。」w

遺体の損傷が激しいくらいアパートが燃えたのにたばこの吸い殻が見つかるw

葛飾区アパート火災で焼死体 “兜町の風雲児”中江滋樹氏か 公開日:2020/02/21 11:23 更新日:2020/02/21 11:23
中江滋樹氏(左)と火元となった葛飾区のアパート(C)日刊ゲンダイ 拡大する
 20日午前8時すぎ、東京都葛飾区南水元のアパートから出火し、火元の部屋から黒焦げになった遺体が見つかった。警視庁は、遺体は投資顧問会社「投資ジャーナル」元会長の中江滋樹氏(66)とみて身元の特定を急いでいる。
「兜町の風雲児」と呼ばれた中江氏は、1978年に設立した「投資ジャーナル」を舞台に、一般投資家から600億円以上を詐取したとして、85年に警視庁に詐欺容疑で逮捕され、89年に懲役6年の判決が確定した。
 ◇  ◇  ◇
 中江氏は昨年9月から本紙(日刊ゲンダイ)週末特別版で、コラム「兜町の風雲児 中江滋樹のゼニの哲学」の連載を開始。先週15日発売号(17日付)で24回に上っている。
 中江氏は本紙(日刊ゲンダイ)の取材に対し、投資ジャーナル全盛期に数百億円稼いだことや政財界人の人脈、逮捕劇、獄中生活、家族のこと、出所後の生活などを赤裸々に語った。
 膨大な取材メモを基に今週以降も連載を継続し、中江氏の実像や秘話を紹介していく。

中江滋樹さん、アパート火災で死亡か 「兜町の風雲児」元投資ジャーナル会長 2/20(木) 21:36配信 毎日新聞
火災で遺体が見つかったアパートの一室(中央)=東京都葛飾区南水元で2020年2月20日午後2時43分、南茂芽育撮影
 20日午前8時15分ごろ、東京都葛飾区南水元1の2階建てアパートの2階一室から出火し、焼け跡から遺体が見つかった。この部屋は無職、中江滋樹さん(66)が1人で借りていた。遺体は損傷が激しく性別は不明だが、関係者によると、投資顧問会社「投資ジャーナル」の元会長で1980年代に「兜町の風雲児」と呼ばれた中江滋樹さんの可能性があり、警視庁亀有署が身元の特定を急いでいる。
 同署によると、部屋から煙が出ているのを近隣住民が見つけ119番した。約25平方メートルの同部屋が焼け、その場で死亡が確認された。アパート大家の女性によると、中江さんは7~8年前に入居し、1人で暮らしていた。体調が優れない時期が続いていたという。
 「兜町の風雲児」と呼ばれた中江さんは78年に投資ジャーナルを設立し、仕手集団を率いて注目された。しかし、株投資に絡んで7000人以上の一般投資家から600億円近くをだまし取ったとされる「投資ジャーナル事件」に発展し、85年に警視庁に詐欺容疑で逮捕された。89年、詐欺罪で懲役6年の判決が確定した。【土江洋範、南茂芽育】

近江八幡出身w

たぶん「るるちゃんの自殺配信」の起源「ろろちゃん@jc3」の件で聖なる火で消された…

「FBIに聞いたって分かんない」横浜市の相鉄線瀬谷駅で高2女子が「るるちゃんの自殺配信」を実行してしまうまで…(2020年2月18日)

やっと歌詞の意味がわかった…

この記事が焼死のトリガーになった、近江八幡市かぁ…w

2008年5月の「琵琶湖バラバラ殺人事件」と川田亜子とニイウス。犯人は禿とブルーグループだなw

佐川正明や稲盛和夫…東京進出後に広がった経営者との人脈【中江滋樹 “兜町の風雲児”ゼニの哲学】 日刊ゲンダイDIGITAL / 2020年2月16日 9時26分
写真 中江滋樹氏(C)日刊ゲンダイ
中江滋樹【“兜町の風雲児”ゼニの哲学】#24
 東京進出後の20代の中江は、政治家や若手経営者に人脈を広げていった。レンタルレコードの「黎紅堂」の大浦清一社長から佐川急便2代目の佐川正明氏を紹介してもらい、その誘いで京都の佐川急便の細川別邸に行ったことがある。その時に「京セラ」の稲盛和夫社長も来ていた。
「ボクは稲盛社長に、VHSとベータのビデオデッキ問題で関東電化が開発したメタルテープのことを話した。そしたら稲盛社長が『興味あります、聞きたい』といってボクに次々と質問をしてきたんだ。ボクの情報を聞いた稲盛社長がひと言、『わが社も進出するつもりです』と言った。セラミックの部品メーカーである京セラがどうやって8ミリビデオに進出するのか、ボクはそれを聞いて、これはどこかのカメラメーカーを買収すると思った。その後、ヤシカの株が暴騰した。稲盛さんがわが社も進出すると言っていたのは、このことだと思った。しばらくしてボクの読み通りに京セラはカメラメーカーのヤシカを吸収合併した。大企業のトップの言葉にはいろいろなヒントが含まれている。それを読み取れるかどうかだ」
 佐川正明氏との付き合いができた中江は、その親しい仲間だけが集まる京都の祇園にある秘密サロンに、愛人の赤坂の宗千代を連れて参加した。その時にたこ焼きを土産に近づいてきたのが、「テンポラリーセンター(パソナ)」の南部靖之代表だった。
「南部代表は、ボクの2歳年上だが、すぐに親しくなった。当時の南部代表の会社は内幸町のプレスセンターにあり、実質的には南部代表が会社を動かしていたが、まだ若いということで父親が社長で、彼は専務という立場だった。南部代表とは毎日のように会っていた」
 雑誌やテレビのマスコミが取り上げる若手の経営者には、中江の方から積極的に接触をしていった。そうして知り合ったひとりが「ソフトバンク」の孫正義社長である。
「孫さんとは、ボクの方から連絡をして料亭『川崎』で会った。その時の孫さんは、まだソフトバンクを立ち上げたばかりで、コンピューターソフトを売っていたと思うが、金もなかった。翻訳機がシャープに2000万円で売れて助かったと孫さんは話していた。まだ、25歳と若かったが、話が理路整然として頭の回転も速いし、この人は大きな仕事をするなと思った。ボクがニューオータニでパーティーを開いたときにも孫さんは来てくれた。その時、コートを着たまま会場に入ってきてクロークのことを知らなかった。それでボクが孫さんを連れてクロークでコートを預けたことがあった」
 そのパーティーで中江は南部代表を孫社長に紹介、2人はその後、親しくなっていったという。
(中江滋樹/「投資ジャーナル」元会長 取材・文=ジャーナリスト・比嘉満広)
で、この続きの前にアパートで焼死…


【中江氏が続ける。 「僕は当時、『麻生太郎を首相にする会』に名を連ねていてね。】w

永野一男刺殺事件 = 豊田商事会長刺殺事件w

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