弁財天

ゴフマン「専門家を信じるのではなく、自分自身で考えて判断せよ」

ルイス・デ・アルメイダ(Luís de Almeida) update2

ロマーノ岐部(Petro Kasui Kibe)から宇佐神宮と神社本庁のハイテーブル抗争を読み解く…(2020年8月25日)


人吉市→広報ひとよし 平成21年6月1日号 (PDF)

医療のお話し

今月のドクター 人吉医師会副会長 岐部明廣

アルメイダによる 日本最初の西洋医術

皆さんはルイス・デ・アルメイダを知っているでしょうか? 日本ではじめての西洋医術を行ったのは彼でした。 彼は、ポルトガルのリスボンのトドス・オス・サントス大学を卒業した外科医・貿易商・キリスト教修道師(イルマン)でした。

1555年、肥前(長崎県)の平戸に上陸したアルメイダは、豊後の府内(大分県大分市)へやってきて守護大名の大友宗麟(そうりん)の許可を得て、 今の大分市上野ヶ丘に育児院と府内病院を建設しました。 建設資金はアルメイダが貿易で稼いだお金でした。 当時のポルトガルのお金1,000クルサドという大金でした。 育児院は日本最初の福祉施設です。 大分市上野ヶ丘は、私が40年前通学した大分県立上野ヶ丘高校のある所です。

1559年増設された府内病院は、急性期病棟と療養病棟が各々(おのおの)50床ずつありました。今から450年前の府内病院が、システムも規模も外山胃腸病院(急性期病棟56床、療養病棟35床)にあまりに似ているのは驚きです。急性期病棟でアルメイダは、四肢切断術、膀胱(ぼうこう)切開術(膀胱結石の治療)などの西洋医術を日本ではじめて施したのでした。これを見た府内の人々は、『バテレン(宣教師)は「人肉を喰う」』という噂が出たほどでした。 内科の治療は、和田強善きょうぜん(洗礼名ポウロ)が漢方医学で行いました。

療養病棟は主にハンセン病の患者さんの療養(ケア)をしたのです。その当時の日本では、ハンセン病は不治の病として「穢(けが)れ」として触れてはならないと考えられていたので、療養(ケア)することは画期的なことでした。何の躊躇ちゅうちょもなく、ハンセン病の患者の看護をしている姿を見たとき、多くの豊後の人々は大きなショックを受けたに違いありません。大友宗麟(そうりん)が洗礼を受ける以前に、豊後の人々は、アルメイダの慈善事業に感銘を受けキリスト教を受け入れていったのでした。

キリシタンのボランティアの人たちが、ハンセン病の患者さんをケアしたのです。日本ではじめてのボランティア組織「ミゼリコルヂアの組」を結成したのです。その当時の日本より西洋の方がいかに進歩していたかが垣間見えます。

アルメイダは、府内に来る途中に筑前秋月(福岡県甘木市秋月町)領主の秋月種実(あきづきたねざね)とその妻(豊後の国東半島の豪族・田原親宏(たわらちかひろ)の娘)に招かれ、秋月城でキリスト教の講義をしました。10日間の滞在中、キリスト教に共鳴した24名が洗礼を授けたのです。その半年後に秋月龍子が誕生しました。彼女は両親の影響でキリシタンになりました。彼女は相良藩第二十代藩主となった相良長毎(ながつね)の妻となり、精神的にも宗教的にも良き伴侶となったのです。龍子および長毎がキリシタンとなったルーツは、 日本にはじめて西洋医術を伝えたアルメイダなのです。

相良藩第二十一代藩主相良頼寛以後の相良藩主に、大分県国東半島の血が流れているのは、何かの縁を感じます。

晩年を天草の河内浦かわちうらで過ごしたアルメイダは、日本に大きな足跡を残して1583年に歳で帰天(他界)されました。肥後天草にはじめてキリスト教を伝えたのもアルメイダです。

【1555年、肥前(長崎県)の平戸に上陸したアルメイダは、豊後の府内(大分県大分市)へやってきて守護大名の大友宗麟(そうりん)の許可を得て、 今の大分市上野ヶ丘に育児院と府内病院を建設しました。 建設資金はアルメイダが貿易で稼いだお金でした。 当時のポルトガルのお金1,000クルサドという大金でした。 育児院は日本最初の福祉施設です。 】w

【マザーテレサとジェフリーエプスタイン】マザーテレサの慈善団体が赤ん坊を550ドルから1450ドルの値段で人身売買をやってインド当局に摘発されていたw(2020年9月4日)

マザーテレサの闇ビジネスが摘発されたあとにアルメイダの話を聞くと何が起きていたのか容易に想像できてしまう…

赤ちゃんポストの病院が「内密出産」実施へ 費用も負担
白石昌幸
2019年12月7日 21時09分
写真・図版 「内密出産」の受け入れについて説明する慈恵病院の蓮田健・副院長=2019年12月7日午後6時1分、熊本市西区、白石昌幸撮影
 親が育てられない子どもを匿名で預かる「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)を運営している熊本市の慈恵病院は7日、予期せぬ妊娠をして匿名を望む母親が、病院にだけ身元を明かした状態での出産を受け入れると発表した。すぐに実施する。子が後に自分の出自を知る権利を病院が独自に保障する仕組みを設けるといい、事実上の「内密出産」となる。
 「内密出産」はドイツでは2014年に始まった制度。一定の年齢に達した子どもから希望があれば母親の身元を知らせ、母子の安全を図りながら出自を知る権利を担保する。慈恵病院は国内での内密出産制度の実現をめざし市や国に協力を訴えてきたが、子どもの戸籍作成や特別養子縁組などで課題があると指摘する声もあり、制度は整っていない。
 蓮田健・副院長によると、まず匿名での出産を希望する妊婦から相談を受け付ける。病院側の説得でも妊婦が身元を明かさない場合は、何年後なら身元を明かしてよいかなどを取り決める。妊婦は病院内にある「新生児相談室」の室長だけに身元を明かし、仮名のまま妊婦健診を受けたり、出産したりできる。費用は病院が負担する。
 病院側は免許証などの身分証明書をコピーして保管。子どもが一定の年齢に達して親の名前を知りたい場合は、病院が保管していた身分証明書を開示するという。ただ、妊婦が「一生匿名」を希望した場合には出自を知る機会が失われる「匿名出産」になることもあり得るという。
 蓮田副院長は「全国で赤ちゃんの遺棄や殺人事件が起きている。匿名での出産を断った妊婦のその後が気になっており、母子の命にかかわる自宅などでの孤立出産を防ぐための取り組み。事例を重ねないと法整備は進まないので腹をくくって始める。今後も匿名を希望する妊婦へのカウンセリングなど相談を重ね、実名を明かしてもらう努力は続ける」としている。(白石昌幸)

■〈記者の視点〉母子の命を守る…

【福岡県飯塚市の吉田茂カレー】「健康法はヒトを喰うことだ」w(2020年2月27日)

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