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ゴフマン「専門家を信じるのではなく、自分自身で考えて判断せよ」

熊澤英昭元次官の妻と妹の末松広行農水次官向けのコメディw update13

「堤幸彦×佐藤二朗 50周年特別ドラマ」「小牧工業高校マーチングバンド部」顧問の50代の男性教師が午前2時10分に職員室で血だらけで死亡した…

次官の家族のコメディと同時進行してるはずの 「小牧工業高校マーチングバンド部」殺人事件にマスコミはいっさい触れなくなった。 たぶんこれが熊澤英昭元次官の妻と妹のコメディが進行している理由なのだろう…w

官僚のやられたフリ作戦w

「妻はうつ病、娘は自殺」元農水次官に懲役8年求刑 わが子を数十回刺し続けた“エリート父”の思い
12/14(土) 6:00配信文春オンライン
「妻はうつ病、娘は自殺」元農水次官に懲役8年求刑 わが子を数十回刺し続けた“エリート父”の思い 警視庁練馬署から送検される熊沢被告
 元農水次官の熊沢英昭被告が長男を殺害した罪に問われている事件の裁判で、検察側は懲役8年を求刑した。弁護側の主張や妻の証言によれば、熊沢被告は、長男の家庭内暴力だけでなく、妻のうつ病や娘の自殺など複数の深刻な問題を抱えていたという。法廷で「本当に殺されると思いました」と語った熊沢被告、そして一家の実像を報じた「週刊文春」2019年6月13日号の記事を再公開する。なお、記事中の年齢や日付、肩書き等は掲載時のまま。
【写真】英一郎氏がコミケに出品していた作品
◆ ◆ ◆
 44年間育てた我が子を数十回も刺し続けた時、父の胸に去来したのは恐怖か、悔恨か、それとも、4日前に起きた惨劇の二の舞を防いだ安堵だったか。その時、母は何を思ったか――。“華麗なる一族”の長男が率いた一家が血の海に呑まれるまでを総力取材で描く。

 農林水産省の元事務次官・熊沢英昭(76)の実妹は、みずからを納得させるように頷き、固く唇を噛んだ。
「兄は武士ですよ。追い詰められて、誰かに危害を加えてはいけないから最後は親の責任で(長男の殺害を)決めたのでしょう。それは親にしかできないことです」
 そして兄の苦悩の日々をこう代弁するのだ。
「私たち兄妹の仲は本当に良くて、お母さんと英一郎くんがうまくいっていないのは知っていました。でも、兄は私たちに詳しい話はしませんでした。兄はお母さんと英一郎くんの仲を取り持とうと、一番近くで頑張っていたんです。『母と一緒に暮らすとうまくいかない』といって、実家を離れさせていても、兄は英一郎くんと食事に出かけたり、電話をしたり、本当に気にかけていた。それが、先日の川崎の事件をみて、結局こういうことになってしまった。本当に武士ですよね……」
“修羅の家”で一体何が起きていたのか――。

「子供らをぶっ殺すぞ!」
 6月1日、東京・練馬の区立小学校は、児童たちの歓声で沸いていた。校庭に隣接する一軒家で怒号が響いたのは、同日午後。
「運動会の音がうるせえ。子供らをぶっ殺すぞ!」
 一家の大黒柱である英昭は、1階のパソコン機材に囲まれた“要塞”で寝そべる無職の長男・英一郎氏(44)を厳しくたしなめた。同時に、常日頃から「殺すぞ」と連呼する英一郎氏の姿に、ある事件の容疑者を重ね合わせていた。
 遡ること4日前の5月28日。無職・岩崎隆一(51)が川崎市の路上で私立カリタス小学校の児童ら20人を殺傷し、自殺を遂げた。英昭の中で、十数年にわたって引きこもり生活を続けた末に惨劇を起こした岩崎と、目の前の息子の姿がダブって見えた。
 午後3時40分。英昭は台所にあった刃渡り約20センチの洋包丁を握ると、凶行に及んだ。
「英一郎氏の胸部に包丁を突き刺したのです。倒れた後も執拗に刺し続け、直後、『息子を殺した』と110番通報。練馬署員が駆けつけると、英一郎氏が血の海の中で仰向けに倒れていた。病院搬送後、死亡が確認されたのは約1時間後の午後4時47分。司法解剖の結果、死因は首を深く切られたことによる失血死でした」(社会部記者)
 英一郎氏に刻まれた数十カ所の傷は、英昭が抱いた“家庭内モンスター”への恐怖心を如実に表していた。
〈もう殺すしかない〉
 自宅からは英昭の苦悩を綴った走り書きが見つかった。英一郎氏は事件の6日前に激しく暴れ、英昭は妻に「今度暴力を受けた時は危害を加える」とほのめかしていたという。

近所の皆が目標とする“華麗なる一族”
 英昭は1943年、岐阜県可児市で生まれた。父は歯学博士。53年3月に一家は上京し、父は台東区に歯科クリニックを開設。たびたび専門誌「歯科学報」に論文を寄稿し、地元の名医として知られるようになった。熊沢家と関係の深い知人が証言する。
「英昭さんは長男で、下に弟が1人、妹が3人います。近所で評判のお宅で『熊沢さん一家のようになりたい』と皆が目標にしていたくらい。当時、英昭さんは剣道をやっていましたね。上野警察署に週1~2回通い、全然手を抜かず一生懸命やっていた。二段くらいは取得したんじゃないか」
 熊沢家は、“華麗なる一族”だった。英昭は都立上野高校を卒業後、東大法学部に進学。67年に卒業すると、旧農林省に入った。二男は同じ東大の附属病院に勤めた。
「長女は千葉大を卒業後、千葉県内の大病院に嫁ぎました。双子の二女と三女は東大教育学部付属中、同高を経て、上智大学大学院を修了。2人とも医療関係者の夫を持っています。
 熊沢家は昔から本当に仲が良かった。年末年始になると、『新宿ワシントンホテル』などで新年会や忘年会をやるのですが近所の友人も呼ばれるのです。英昭さんのお母さんは昔気質の人で(英昭が)農水省に入ったとき『袖の下なんて絶対に受け取ったら駄目よ! 全部返しなさい』と教えていました」(英昭の知人)
 英昭は旧農林省に入省後、東京・国分寺市の小さな賃貸住宅に居を構えた。その頃、お見合いで出会ったのが、後に妻となる3歳年下の女性だった。英昭と同期入省の農水省OBが語る。
「熊さんは同期の中でも結婚が遅いほうだったんだ。私たちの世代は同期が結婚すると、必ず結婚式で自作の歌を披露する慣習があった。熊さんは小唄と作詞が趣味だったから毎回作詞を担当し、アマチュア交響楽団の指揮者をやっていた同期の一人が作曲を担当していた。熊さんの結婚式では自ら作詞し、それに曲をつけて合唱しました」
 結婚式に参加した別の農水省OBが語る。
「結婚式の最中、仲人が奥さんを『彼女は学生時代、日本の古代史を研究していました』と紹介していました。当時、女性でそこまでする人はいなかったので『相当インテリなんだな』という印象を持ちました」
 結婚を誰より喜んだのは、長男である英昭を手塩にかけて育てた両親だった。

人を射るような強い眼差し
「英昭さんのお母さんが近所に贈答品として風呂敷を配っていました」(当時の実家の近隣住民)
 子宝に恵まれたのは、75年3月のこと。英昭は「英」の文字をとり、長男を「英一郎」と名付けた。78年3月、英昭は3歳になったばかりの英一郎氏を連れ、アメリカに渡った。
「熊さんはケンブリッジ大学に2年間留学した経験があり、英語が堪能。その能力を買われ、在米日本大使館一等書記官としてアメリカで約3年を過ごすことになったのです。でも、現地では『お前のはブリティッシュイングリッシュだと馬鹿にされた』と嘆いていた」(前出・同期入省のOB)
 帰国後、英一郎氏が小学校に入学すると同時に一家で移り住んだのは、新宿区にある国家公務員官舎だった。当時、同じ官舎に住んでいた元農水官僚は、廊下を笑顔で走り回る英一郎氏の無邪気な姿を幾度となく目撃したという。9歳下の妹が生まれて間もなく、英一郎氏は名門中学を狙って受験勉強に励むようになる。
「とにかく奥さんが教育熱心だった。官舎中で『熊沢氏の奥さんは教育ママだ』と話題になるくらいだった」(当時を知る元官僚)
 87年、英一郎氏は偏差値70を優に超え、東大合格者を多数輩出する都内随一の中高一貫校、駒場東邦中学に合格。だが、
「ニュースを見た時、『やっぱり……』と思った」
 そう打ち明けるのは、在学中の英一郎氏をよく知る同校の元教師である。
「彼が在学中から父親がキャリア組のお役人だということはもちろん知っていました。担任と親御さんは一年に一度必ず保護者面談を行うのですが、彼の場合はお母さんでした。お父さんは学校の面談にはあまり参加されていなかった。面談時、お母さんが『英一郎が暴れる』と担任に相談したのです。『母に暴力を振るっている』という話が記憶の中で強い残像になっています。たしかに、普段彼が話すときの様子を見ていると、暴力性を秘めていた。人を射るような強い眼差しをしていました」
 当時、英一郎氏は肩までかかる長髪を輪ゴムでくくっていたという。友達は一人もおらず、部活動にも所属していなかったようだ。この頃からすでにゲームにはまっていた。
「イジメや、身体を壊したこともあったと担任からは聞いていた。学業的には芳しい成績ではなかった。お父様が華々しい経歴の持ち主ですから、彼としては肩身の狭い思いをしていたと思います。彼にとっては父の存在そのものがプレッシャーになっていたんじゃないか。うちの学校でも何年かに一人、大学に行かない子供がいるのですが、彼はその一人でした」(同前)
 この頃のことを英一郎氏はツイッターで〈18歳で統合失調症〉〈私はイジメられ続けた所為で統合失調症になったからなぁ(略)何とか復讐したい〉などと綴っている。

省内にも漏れ伝わっていた家庭の“異変”
 農水省の同僚たちが熊沢家の“異変”に気付いたのは93年、まさに英一郎氏が18歳の頃のこと。当時、英昭は国際部長の要職に就き、多角的貿易の促進を目的とした通商交渉「ウルグアイ・ラウンド」が大詰めを迎えていた。英昭は8カ月間で13回の海外渡航をこなし、帰国すれば土日でも深夜まで交渉を続ける多忙な生活を送っていた。
「その頃、省内で『熊さんは、どうやら家庭に問題があるようだ』と聞きました。なんでも『息子が引きこもっている』と。省内では『その辺のことは聞かないほうがいい』と腫れ物に触るような雰囲気になっていました」(農水省関係者)
 ちょうど英一郎氏の同級生の多くが、春から大学生活を謳歌している時期だった。前出の元教師が語る。
「一つ記憶しているのは卒業後、『代々木アニメーション学院に通っています』と報告に来たこと。浪人している子については連絡をとって進路を把握するようにしているのですが、彼は自分から報告に来ました」
 高校卒業後、アニメの世界から紆余曲折を経て、2001年、英一郎氏は流通経済大学大学院の修士課程を修了したことが分かっている。修士論文のタイトルは〈shade(3DのCGを作るためのソフト)を用いた3DモデリングによるWebコンテンツの作成〉。

英昭の人生にも重大な局面が
 英一郎氏が大学院に通っていた頃、父の人生も重大な局面を迎えていた。01年1月、農水省トップの事務次官に就任したのだ。
「農水省では出世の条件で『三白』という言葉がある。3つの白とは、米・砂糖・牛乳のこと。このいずれかの担当経験が次官に出世する条件という意味です。熊沢さんは88年に砂糖類課長を経験している“有資格者”でした」(前出・農水省関係者)
 英昭が次官として仕えた小泉政権の幹部の一人は「彼は農水族のうるさ型議員にもペコペコしないし、言うべきことは言う男。20年に一人の農水省の逸材だった」と太鼓判を押すが、当時「AERA」記者として取材していた長谷川煕氏は異を唱える。
「熊沢氏は01年1月からの1年間、事務次官を務めていますが、任期中の同年9月に日本で初めてBSEが確認されました。事務次官として責任があるのはもちろんですが、実はそれだけではない。95年7月から97年1月まで彼が畜産局長だったときに、BSEを引き起こしたと見られる肉骨粉飼料の規制について対応に手抜かりがあったのです。次官当時もEUが日本をBSE発生危険国の一つにする措置を取ろうとした際、農水省が危険性を否定、ほどなくその危惧が現実になったことで日本は国際的な信用を失いました」
 英昭に対して「引責辞任」を求める声があがったが、結局02年まで丸1年間次官を務めた。当時農水相だった武部勤氏が国会で「(引責辞任ではなく)定期の異動だ」と答えたとおり、規定の退職金、8874万円を満額もらって退官している。

英昭に用意された驚くべきポスト
 98年に新築した、事件現場となった自宅は延べ床面積115平米の2階建て。5000万円の抵当権が設定されたが、退官直後に完済している。その後の英昭について前出の農水省関係者が解説する。
「本来、農水次官ともなれば、天下り先は日本中央競馬会(JRA)、農林中央金庫理事長、農林漁業金融公庫総裁の3つのどこかが用意されるものです。ところが、熊沢氏はBSE問題の戦犯という負い目もあって、そうしたポストにはつけなかった。退官直後、日本食肉協議会の非常勤嘱託となったことも国会で追及され2週間で辞任しています。その後、農協共済総合研究所の理事長や、全国米穀取引・価格形成センターの会長という“軽量級”のポストを渡り歩きました」
 だが、退官から約3年後、失意の英昭に驚くべきポストが用意された。
「チェコ大使に任命されたのです。『次官まで務めたのにあまりに可哀そう』という背景があり、英語もできたので、農水次官から初の大使に就任した」(同前)
 妻と一緒に約3年半をチェコで過ごした英昭は、08年10月に帰国。当時の懐事情について全国紙記者が解説する。
「就任したチェコ大使の年収は2000万円は下らない。さらに退職金も7000~8000万円は出ますから、大使時代だけで1億3000万円以上はもらっているでしょう。農水省時代の退職金やその後の2つの天下り先と合わせれば軽く2億円は超えます」
 裕福な親の存在もあってか、大学院修了後、英一郎氏は定職に就くことなくアニメやネットゲームの世界に傾斜していった。

ゲーム仲間も「協調性の無い問題児」と証言
 英一郎氏は11年7月、「ドラクエ10ステラ神DQX」と題したツイッターアカウントを取得。オンラインゲーム「ドラゴンクエストⅩ」の愛好者たちと交流を持つようになった。また同時期、「神崎弘海」というペンネームでホームページを作成。プロフィール欄には「元社会復帰指導員」「パン職人(パン製造技能士二級)」と記す。14年夏に催されたコミックマーケットに参加し、繊細なタッチで描かれたメカの画集「聖殻の神殿」を出展。ネットゲームとアニメの世界に益々没入していく。ゲームで英一郎氏と知り合った女性が証言する。
「彼と『ドラクエ』を通じて知り合ったのは昨年2月。自己評価が高く、ゲームに依存している印象でした。『自分は特別な存在なんだ』と繰り返していました。自分の職業は『不動産の管理人』と自称していましたが、実際には平日昼間にログインしていたし、働いている形跡はなかった」
 ある時には、英一郎氏から次のようなダイレクトメッセージが届いたという。
〈私の本名や家族を知ったら驚きますよ〉
 別のゲーム仲間も、「父親自慢をされた際に『凄いのはオヤジであってお前じゃねえだろ』と返すとキレられた。協調性の無い問題児だった」と証言する。

英一郎氏にとって父親は自慢の種だった
 事件前の約10年間、英一郎氏は実家ではなく、都内の別の場所で一人暮らしを続けていたが、ゴミ出しなどを巡り、近隣住民とトラブルが絶えなかった。昨年5月には〈323,729円 これが今月の私のクレカの支払額だ。君達の両親が必死で働いて稼ぐ給料より多いんだよ〉とツイッターに書き込んでいるが、こうしたゲーム代や生活費もすべて親持ちだった。英昭はしばしば息子の様子を見に行っていたようだ。
 コミックマーケットを通じ、10年間にわたって交流があったという男性が打ち明ける。
「私は04~05年頃、同人誌を作っていたのですが、英一郎氏にコミックマーケットで作品を購入してもらったことがきっかけで彼と知り合った。その後、都内で開催された同人誌の即売会で会うたびに談笑するといった交流を続けてきました。当時、彼は『(アニメなどの)専門学校を中退した』と話していた。また、一時期パン職人をやっていたそうで、彼が作ったというシュトーレン(ドイツ発祥の菓子パン)をもらったこともあります。女性関係については『かつては彼女がいた。今はいないが童貞ではない』と。彼は好きなものには妄信的で、そうでないものは蛇蝎(だかつ)の如く嫌う性格。特に母親への憎悪は根深いと感じました」
 次官まで務めた父親は自慢の種だったようだ。
「12年頃のある日、彼がコミケに年配の男を連れてきたことがあった。彼はその人を指して『父です』と紹介してきました」(同前)
 確かに英一郎氏は、ツイッターで〈庶民が、私の父と直接会話なんて、1億年早いわ〉と綴ったり、BSE騒動のことを示唆しているのか、〈(父は)流石と思った。かつて、現実世界の炎上を静かにした経験あるからな〉と綴っている。

〈死ぬ最期の1秒まで責任を〉
 一方で、母のことは「愚母」と呼び、〈私が勉強を頑張ったのは愚母に玩具を壊されたくなかったからだ〉〈中2の時、初めて愚母を殴り倒した時の快感は今でも覚えている〉〈殺人許可証とかもらったら真っ先に愚母を殺すな〉と書き込んでいる。
 父を自慢することで自らの虚栄心を満たす一方で、教育熱心だった母に、学歴社会で思うような道を歩めなかった責任をなすりつけているようにも見える。
 そして昨年、100歳を超えた英昭の母が逝去。母の介護という重しが取れた英昭のもとに、英一郎氏から「家に戻りたい」と電話があり、事件の10日ほど前から実家に舞い戻っていた。
 逮捕後、英昭は警視庁の調べに、こう供述しているという。
「川崎の事件が頭をよぎり、周囲に迷惑が掛かると思った。怒りの矛先が子どもに向いてはいけない」
 だが捜査関係者の話からは違う可能性も見え隠れする。その焦点は母親だ。
「母親は刺殺現場にはいなかった。犯行後、父親は外出中の母親に『戻ってくるな』と連絡している。母親が父親の殺意をどこまで知っていたのか、2人の間に暗黙の了解があったのか、などはこれからだ」
 かつて英一郎氏はツイッターにこうも綴っていた。
〈何が産んでくれた? 勝手に親の都合で産んだんだから死ぬ最期の1秒まで子供に責任を持てと言いたいんだ私は〉
 6月3日、送検のため練馬署を出てきた英昭の表情は、“責任”を果たした安堵に満ちているようにも見えたが、いかなる理由があろうと、我が子を殺めた罪が消えるわけでもない。
「週刊文春」編集部/週刊文春 2019年6月13日号

死人に口なしw
霞ヶ関を総動員してでっち上げているかんじw

「3年前の16年6月以降のことだ。男の身体は不摂生な暮らしを物語るようにぶくぶくと膨れ、肩までかかる長髪は、長い間洗っていないのか脂ぎっている。元は白かったであろうシャツは全体がわずかに黄ばみ、異臭を放つ。靴紐がほどけているのも意に介さず、だらしなく歩く姿からは異様さが漂っていた。」w

首都圏 NEWS WEB 元次官の妻 法廷で「刑を軽く」 12月11日 16時59分
農林水産省の元事務次官が長男を殺害した罪に問われている事件の初公判で、被告は起訴された内容を認めました。 証人として出廷した妻は、長男から暴力を受けたことや、事件直前、長男から殺すと脅されて夫婦で部屋にこもっておびえていたことなどを説明し、刑を軽くするよう求めました。
農林水産省の元事務次官、熊澤英昭被告(76)は、ことし6月、東京・練馬区の自宅で長男の英一郎さん(44)を包丁で刺して殺害したとして、殺人の罪に問われています。
11日、東京地方裁判所で初公判が開かれ、裁判長から起訴された内容に間違いがないか問われると、被告は「間違いありません」と述べて認めました。
午後、証人として出廷した被告の妻は、長男が都内の中高一貫の進学校に通っていた中学2年生の頃からいじめられるようになったことをきっかけに、長男から殴られたり蹴られたりする家庭内暴力を何百回も受けたと述べました。
事件直前には長男から「殺すぞ」と言われ、夫婦で部屋にこもっておびえて過ごしていたとし「夫は長男のために本当に一生懸命やってくれました。刑をどうか軽くしてください」と泣きながら訴えました。
被告は伏し目がちで、ときおり目を閉じながら妻の話を聞いていました。 12日の裁判では被告人質問が行われます。
午後の法廷では熊澤被告の妻が証人として出廷し、長男の家庭内での暴力や事件に至ったいきさつについて証言しました。 弁護士から家庭内暴力が始まったいきさつについて聞かれると、妻は「長男は中学2年生の頃から、学校でいじめられたうっぷんを晴らすように殴る、蹴るといった暴力を振るってきたり、火のついたライターと包丁をのど元に突きつけられたりしました」と述べました。 また、事件のおよそ1週間前のことし5月下旬に1人暮らしをしていた長男が実家に帰ってきて、一緒に暮らし始めました。 被告が長男に家の中のごみを片づけるよう話しかけたところ、長男は激しく怒って、被告の髪の毛をつかんで頭をリビングの家具にたたきつけたということです。 その日からは、長男に話しかけても「殺すぞ」とばかり言うようになったということで、妻は「本当に怖かったので、夫婦2人で食パンとスナックだけ持って2階にこもっていました。本当に殺されると思っていました」と述べました。 また、被告への思いを聞かれると妻は「長男のために一生懸命進学先を探すなど、本当によくやってくれました。刑をどうか軽くしてください。お願いします」と訴えました。

公判では九頭竜の三流脚本家みたいなストーリーを一方的に展開してるみたいだ。もちょっとうまくやれよw

被害者の呟きが3204件も残っているわけだけど、被害者の人格と「殺すぞ」のストーリーが噛み合わないw

3204ツイ r rr

「緑の業者まるすけ」がドラクエ10とツイッターでいやがらせ工作。警察沙汰になる。「貴殿のご子息について、お話が」…そして長男を同居させてから殺害w

「殺人罪」「執行猶予」。熊沢被告は事件2日前、こんな言葉をインターネットで検索。検察側は「英一郎さんの殺害を考慮しながら過ごすようになった」と指摘した。犯行に使われた凶器の包丁は農水省時代に治水事業の記念品として贈られたものだった。

【「殺人罪」「執行猶予」。熊沢被告は事件2日前、こんな言葉をインターネットで検索。】w
そして妻が
「長男のために一生懸命進学先を探すなど、本当によくやってくれました。刑をどうか軽くしてください。お願いします」と訴えるw

元農水次官「つらい人生送らせた」 長男殺害公判で 2019.12.12 19:59
社会裁判 元農水次官長男刺殺
 東京都練馬区の自宅で長男を刺殺したとして、殺人罪に問われた元農林水産事務次官の無職、熊沢英昭被告(76)の裁判員裁判の第2回公判が12日、東京地裁(中山大行裁判長)で開かれ、被告人質問が行われた。熊沢被告は「主治医にアドバイスを求めるべきだった。息子にはつらい人生を送らせてかわいそうに思っている」と述べた。
 熊沢被告は、発達障害だった長男の英一郎さん=当時(44)=が苦手なごみの片づけをするために、月に1回程度、1人暮らしの家を訪れたと説明。就職氷河期と重なるなどして就職先が見つからなかった英一郎さんに、製パンやアニメの学校に通わせたほか、「生きがいを持たせたい」とコミックマーケットへの出品を勧め、会場で売り子として手伝ったこともあったという。
 ただ英一郎さんが自宅に戻った今年5月、熊沢被告に暴力を振るってから2人の関係に変化が生じた。
 熊沢被告は、英一郎さんから事件当日に「殺してやる」と言われたとし、「殺されると思って無意識に包丁を取りに行った」「殺していなければ私が殺されていた」と振り返った。
 一方で、事件前に「ほかに方法はないと思う」とする手紙を書いたことや、インターネットで「殺人罪 執行猶予」と検索した意図に関しては「記憶がない」などと説明。暴力を受けてから外部に全く相談しなかった理由を検察官に問われると「精神的なショックがあった」とうなだれた。
裁判員も質問に臨み、自身が暴力を受けた後に起きた川崎市の児童ら20人殺傷事件に関して問われると「犯人が息子に似ている感じは持った」とする一方「事件で(息子が)私を殺す連想まではしなかった」と話した。
 この日は英一郎さんをアスペルガー症候群と診断した主治医も証人出廷。同症候群の成人患者への社会的支援が広がったのはここ数年のことで「熊沢さんは手掛かりのない中で(支援の)形を作り上げていったんじゃないか」と証言。熊沢被告の妻が鬱病で、長女が事件前に自殺していたことを明かし、「(熊沢被告は)1対3の介護のような状況だったので燃え尽きないようにと思っていた」と述べた。

「この日は英一郎さんをアスペルガー症候群と診断した主治医も証人出廷。」w

そもそもアスペルガー症候群など実在するのだろうか?
ナチスの精神学者が子どもを殺害する口実に使った架空の精神病なのでは?w
つまりこの裁判は何もかもデタラメである可能性があるw

ADHDを言い訳にわずか20分の診断で向精神薬の実験台になってもらう。タミフルも向精神薬だった

妻涙声で「刑を軽くしてください」元次官息子刺殺 [2019年12月11日23時8分]
東京都練馬区の自宅で長男熊沢英一郎さん(当時44)を刺殺したとして、殺人罪に問われた元農林水産事務次官熊沢英昭被告(76)の裁判員裁判の初公判が11日、東京地裁(中山大行裁判長)で開かれた。被告は「間違いありません」と起訴内容を認めた。検察側は長男の家庭内暴力から殺害に至ったと指摘。妻宛てに書いた「これしか他に方法はないと思います」と長男殺害をほのめかしていた手紙も読み上げられた。
  ◇  ◇  ◇

熊沢被告は黒いスーツに青色のネクタイ姿で出廷。罪状認否ははっきり応じたが、やつれた様子だった。
冒頭陳述によると、長男は中学時代にいじめを受け、母親に家庭内暴力を振るった。大学進学後は1人暮らしを始めたが、事件1週間前に実家に戻った。1人暮らししていた家のゴミをめぐり立腹し、被告に暴力を振るった。被告は長男を恐れ、妻と2階の寝室にこもった。検察側は事件直前、被告がインターネットで「殺人罪」や「量刑」を何度も検索した履歴があったとし、計画性を主張した。凶器の包丁は農水省の治水事業の記念品だった。
弁護側は長男が統合失調症やアスペルガー症候群と診断されていたと明かし「長年、必死で長男を支えていたが、暴行を受けて殺されると思い、とっさにやむを得ず刺してしまった」と主張した。
検察側は被告が事件前、原稿用紙に書いた妻宛ての手紙を読み上げた。「これしか他に方法はないと思います。死に場所を探します。見つかったら散骨してください。英一郎も散骨してください」。
証人尋問では弁護側証人として被告の妻が長男が中学2年~大学時代の7年間にわたり家庭内暴力を受けたと証言。被告が長男が住む家のゴミ出しをしたり、持病の薬を届けていたが、事件1週間前、被告が長男から激しい暴行を受けた。「(息子は)『殺すぞ』以外は言葉を発しなかった。本当に殺されると思いました」。
妻は、長男の妹は兄が原因で縁談が破談となり、数年前に自殺したと証言。妻も昨年12月に自殺を試みたが未遂だった。事件前に自殺未遂について被告に伝えると、原稿用紙の手紙を渡された。「長男のことを本当に一生懸命やってくれた。刑を軽くしてください。お願いします」。被告はギュッと目をつぶっていたが、妻が涙声で減刑を訴えると、思わず顔を伏せた。
事件後、被告が川崎市の私立カリタス小の児童ら20人殺傷事件に触れ「事件を知り、長男が人に危害を加えるかもしれないと思った」と供述したと報じられたが、公判では言及はなかった。【近藤由美子】
◆元農水次官息子刺殺事件 6月1日午後3時15分ごろ、熊沢被告は自宅で英一郎さんの首などを包丁で多数回突き刺し、失血死させた。英一郎さんは、いじめをきっかけに中学2年から不登校となり、家庭内暴力を始めた。10年以上前に実家を出たが、5月下旬から再び同居すると暴力が再開。熊沢被告は5月26日ごろ、妻に英一郎さんへの殺意を打ち明けていた。
◆8050問題 高齢の親が無収入の引きこもり中高年の面倒を見続ける中、親が要介護者となったり、経済的に苦しくなるなどの社会的問題。「8050」は双方の年代を意味し、大阪府豊中市社会福祉協議会福祉推進室長の勝部麗子氏が名付けた。

FNN→元農水次官の長男殺害裁判「息子から家庭内暴力を受けていた」と妻が証言

元農水次官の長男殺害裁判「息子から家庭内暴力を受けていた」と妻が証言
2019年12月11日 水曜 午後8:06
東京・練馬区の自宅で、当時44歳の息子を殺害した罪に問われた、農水省の元事務次官・熊沢英昭(76)被告が、初公判で起訴内容を認めた。
裁判には、妻が証人として出廷し、「息子が中学生のころから100回、200回も家庭内暴力を受けていました」と話したうえで、事件数日前について、「息子が夫の髪をつかんで、頭を思い切りたたきつけたあと、『殺すぞ』と言ってました」と証言した。
そして、「夫は息子に対して一生懸命やってくれました。だから、夫の刑を軽くしてください。お願いします」と述べた。
そもそも別ぐらしだったのに100回、200回も家庭内暴力があったのだろうか?w

ターゲットは末松広行(すえまつひろゆき)農水次官だったらすい…

2002年末松広行(すえまつひろゆき)内閣官房内閣参事官、小泉政権w
2005年4月21日熊沢英昭(くまざわひであき)元農水事務次官が特命全権大使としてチェコに駐在
2006年末松広行(すえまつひろゆき)農林水産省大臣官房環境政策課長
2007年4月〜東欧で豚コレラが蔓延しはじめる…
2007年5月28日松岡利勝農水大臣が衆議院議員宿舎(新赤坂宿舎)の自室(1102号室)で首を吊って心肺停止状態となっているところを発見される。やっぱ熊本かぁ…
2008年10月10日熊沢英昭(くまざわひであき)元農水事務次官が特命全権大使解任

2018年7月24日末松広行(すえまつひろゆき)農水省事務次官
2018年12月16日フライデー、末松広行農水事務次官 部下の女性に「粘着メール&キモい電話」
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末松広行農水事務次官 部下の女性に「粘着メール&キモい電話」
末松広行農水事務次官 部下の女性に「粘着メール&キモい電話」
出世したからセクハラ&パワハラをバラされた!? 事務次官&女性職員を直撃!
2018年12月16日
末松氏は本誌の直撃に、「(パワハラを告発して)私を次官にしたくない人がいる」とカメラ目線で語った
「あの人が起こしたパワハラ事件は、省内では有名な話。それだけに、事務次官就任には驚きました。あんな人がトップになっていいのか。そう思っている職員は少なくありません」(農水省男性職員)
テレビ朝日の美人記者にセクハラを繰り返し、懲戒処分となった福田淳一前財務事務次官の記憶も新しいなか、またしてもエリート官僚のハラスメント事件が発覚した。
今回、新たに明らかになったのは、またしても事務方トップ。今年7月に農水事務次官に就任したばかりの末松広行氏(59)だ。
東大法学部卒業後、’83年に農水省に入省した末松氏は、’98年に農水大臣秘書官、’10年に林野庁林政部長、’14年に農水省関東農政局長と、絵に描いたような出世街道を歩んできた。
そんなエリート中のエリートがハラスメント事件を起こしたのは、総理官邸に内閣参事官として出向していた’03年頃のことだ。当時は無名の官僚だったため、末松氏の事件は表沙汰にはならなかった。だが今回、事務次官に就任したことで、改めて過去の不祥事が明るみに出ることとなった。
本誌は約半年に及ぶ取材の末、末松氏からハラスメントを受けていた被害女性を特定。彼女から相談を受けていた、親しい同僚から話を聞くことができた。
「末松さんは官邸に出向する前、総合食料局食品産業企画課の食品環境対策室長というポストに就いていました。官邸出向後、彼はその企画課時代の部下に対し、1年以上にわたってセクハラ・パワハラを繰り返したんです」
末松次官が元部下の女性職員・A子さんに行ったハラスメントは、極めて陰湿なものだったという。
「大量のメールを送りつけたり、電話をくり返してA子を食事に誘っていました。メールや電話が来るのは決まって勤務時間外、ときには深夜2〜3時だったこともあります。しかも誘い方が狡猾で、『仕事の打ち合わせがあるから今すぐ来い』などと呼び出すんです。以前の上司、しかもすでに末松さんはホープと呼ばれていただけに、A子は逆らえなかった」(同前)
毎日のように続く呼び出しに耐えきれず、A子さんはメールを無視するようになった。すると決まって、末松氏から執拗に電話があり、「なぜ返信しないんだ!」と烈火のごとく怒鳴られたという。
「休職寸前まで精神的に追い詰められたA子は、ついに人事部へ駆け込んだ。でも、当時はまだハラスメントの概念があいまいだった時代。相談は聞いてくれましたが、人事部は具体的な処分や指導はしてくれませんでした。結局、深夜のメール&電話攻撃は、末松さんがA子に飽きるまで続きました」
仕事にかこつけて、深夜にメールや電話で食事に誘っていたのが事実だとすれば、それは明確なパワハラでありセクハラだ。これらのハラスメント行為について、本誌はA子さん本人を取材。彼女は事務次官のセクハラ・パワハラを否定はしなかったものの、「お話しすることはできません」と、力なく繰り返した。
では、もう一方の当事者である末松事務次官はどうか。深夜、都内の公務員宿舎に帰ってきた末松氏に直撃した。
――A子さんをご存知ですよね。
「はい」
――過去にセクハラやパワハラがあったと聞いています。
「それは本人が言っているんですか? もし本人が問題だと思っているなら、真摯に受け止めなければいけないと思うんですけど。彼女ってすごい優秀で、これからも働いてもらいたい人だから」
――パワハラをした記憶はない?
「ないです」
――A子さんは当時、人事部にも相談しています。注意などはありましたか。
「全くないです。そもそも、そんな昔の話をどうしてあげつらう必要があるんでしょうかね」
末松氏はそう答えた後、「いかに部下に慕われているか」、「(A子さん本人が)傷ついたと言っているなら次官を辞める」という旨の演説を約80分にわたり記者に聞かせ、自宅へと帰っていった。
農水省は本誌の取材にこう回答した。
「末松が官邸参事官であったときに、そのような事案があったとは承知していません。また、これまでそのような事案で処分を受けたことはありません」
――A子さんは人事部に相談していたが。
「そのような事案があったとは承知していません」
1年にわたって「粘着メール」や「キモい電話」「脅しの電話」をしておきながら「記憶にない」とは、苦しい言い逃れではないか。何年経とうと、ハラスメントを受けた被害者の心の傷が、完全に癒えることはない。そのことは、今年起きた数々のセクハラ・パワハラ事件からも明らかだ。
A子さんも「若手のホープ」として知られる存在だっただけに、末松氏の事件は省内で有名だったという
本誌の直撃に足を止め、真摯に対応してくれたA子さんだが、質問には「お話しできません」と繰り返した
末松氏の演説は約80分にも及んだ
「(人事部からの注意などは)全くないです。そもそも、そんな昔の話をどうしてあげつらう必要があるんでしょうかね」(末松氏)
撮影:田中利勝写真:時事通信(農水省外観)

事務次官のセクハラ・パワハラ疑惑 吉川農水相「承知していない」 2018.12.7 11:03
農林水産省の末松広行事務次官
 7日発売の一部週刊誌で報じられた農林水産省の末松広行事務次官による過去のセクハラ・パワハラ疑惑について、吉川貴盛農水相は同日、「報道の件は承知しているが、そのような事実があったとは承知していない」と述べた。この日朝の閣議後の記者会見で質問に答えた。
 末松氏からは「そういった事実はない。記憶はない」などと報告があったといい、省内で疑惑を調査をする必要性については否定した。その上で、吉川氏は「説明責任は本人にある」と指摘し、末松氏自身の言葉で疑惑を晴らすことを求めた。
 疑惑を報じたフライデーによると、末松氏は内閣参事官だった平成15年ごろ、部下の女性に対し繰り返し食事に誘い、断られると怒鳴るなどの行為をしていたという。

平成15年(2003年)の内閣惨事官

wikipedia.org→末松 広行(すえまつ ひろゆき)

「2002年からは、内閣参事官として小泉政権時代に総理官邸に出向[4]。」w

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