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KENZOがロンメル死した… update5

2020/10/5 10:27 高田賢三氏、9月に感染判明 治療続けるも回復かなわず
拡大  2018年4月、インタビューに答える高田賢三さん=東京都千代田区
 世界的なファッションデザイナーで4日にパリ近郊の病院で81歳で死去した高田賢三さんは、9月上旬に新型コロナ感染が判明、入院治療を続けていたことが5日、分かった。関係者は回復を祈ったが、かなわなかった。日本人デザイナーとして世界の舞台で活躍した先駆けで、国内外に喪失感が広がった。
 関係者によると、高田さんは9月初旬に南仏へのバカンスからパリに戻った後の同10日ごろ、体調不良を訴えて入院。翌日にPCR検査でコロナ感染が判明した。関係者に電話で「体調が良くなってきた」と伝えるなどしていたが、容体は一進一退を繰り返し、日本時間の10月4日夜に亡くなったという。
【関係者によると、高田さんは9月初旬に南仏へのバカンスからパリに戻った後の同10日ごろ、体調不良を訴えて入院。翌日にPCR検査でコロナ感染が判明した。関係者に電話で「体調が良くなってきた」と伝えるなどしていたが、容体は一進一退を繰り返し、日本時間の10月4日夜に亡くなったという。】

たぶん南仏でやるかどうや見てたのでは?w

ルイス・デ・アルメイダ(Luís de Almeida)(2020年9月4日)

自殺したパリの著名日本人シェフはほんとうにレイプマンだったのか?(2020年9月30日)

1949年の下山事件から破門(excommunicado)されたハイテーブルとスペイン方式との接点に迫るw(2020年9月30日)

「KENZO」立ち上げ デザイナーの高田賢三さんコロナ感染で死去 2020年10月5日 4時28分
パリを拠点に活躍し、世界的なファッションブランド「KENZO」を立ち上げた、デザイナーの高田賢三さんが4日、新型コロナウイルスへの感染により、パリ近郊の病院で亡くなりました。81歳でした。
高田賢三さんは昭和14年、兵庫県姫路市で生まれ、東京の文化服装学院で洋裁を学び、新人の登竜門とも言われる「装苑賞」を受賞してデザイナーとしてデビューしました。文化服装学院では同期生に世界的に活躍するデザイナー、コシノジュンコさんなどがいて「花の九期生」と呼ばれました。
昭和40年、25歳でパリに渡り、民族衣装をアレンジした斬新なデザインを発表したほか、当時ブティックで行うのが常識だったファッションショーをパブや映画館で開催し、一躍脚光を浴びました。
高田さんが立ち上げた「KENZO」は世界的に有名なファッションブランドとなりました。
高田さんはフランスの芸術文化勲章を受章したほか、平成11年には紫綬褒章を受章しています。
また、平成16年に開催されたアテネオリンピックの日本選手団の公式服装もデザインしました。
高田さんの日本の事務所によりますと、高田さんはことしの9月中旬、新型コロナウイルスに感染し、パリ近郊の病院に入院していましたが、今月に入って体調が悪化し、4日午後4時ごろ(日本時間4日午後11時ごろ)亡くなったということです。

パリ市長がツイッターで追悼 仏メディアは速報
高田賢三さんが亡くなったことについて、パリ市のイダルゴ市長はツイッターに「彼はファッションにおいて色と光に居場所を与えた。パリはきょう、私たちの息子の死を悼んでいる。ケンゾウの家族や近しい人たち、そして彼を愛したすべての人たちに思いを寄せている」と投稿し、その功績をたたえました。
またフランスの主要メディアは一斉に速報で伝えました。
このうち週刊誌「ルポワン」の電子版は、高田さんが1か月半以上かけて船でフランスに渡ったものの、すぐには成功を得られず、初めはスケッチを売ることで生計を立てたことなど、フランスに来てからの経歴を詳しく紹介したうえで、「国境を越えてインスピレーションを得て、ファッション界において類を見ないすばらしい遺産を残した」と伝えました。
またフランスの公共ラジオ「フランスアンフォ」の電子版は、高田さんのデザインについて「日本的な美しさや清らかさに、少し刺激的な色使いを取り入れつつ、東洋と西洋を柔軟に融合させた」と評価しています。

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