弁財天

ゴフマン「専門家を信じるのではなく、自分自身で考えて判断せよ」

一品物(いっぴんもの)にセーパーを使う理由 update16

ML11363A110の172ページから316ページにかけてJohn W. Stetkarがぶっちゃけたことは重要。 原発の設計者はバルブを信頼して設計しバルブが開放されることを保証しているが 実際には配管が破断する前にバルブから漏れる。

「開放弁が開くか、ポンプが密閉されてるか、バルブのパッキンなど配管の調査官に 配管部品の構造分析を命令しなければ調べたりしないだろう。 そして原発担当がそれを知らないことをあんたは知ってるのか。」
p190 フクイチは2010年6月21日にSTETKARが言った通りの事故になった。

一品物(いっぴんもの)で町工場に発注する原発の配管部品の製造が ムラの言う経済活性化なんだろうけど、開放弁やポンプの密閉、バルブのパッキンの構造分析や熱流体力学までやらないので肝心ま時に破断するという。 下請け孫請け構造なので全体設計がない。まさに国策の大失敗。ポンコツ製造方式。

なんとなくポンコツになってしまう原因が見えてきちゃったなぁ。元請けは接合部のサイズくらいしか明示せず、原発のヤバいヶ所で使用されることを町工場に教えない。 Mark-Ⅰ型のようにサプレッションプール側からSR弁へ逆方向の圧力がかかるなんて想像すらしなかっただろう。

ニッポンの鋼の技術でつくった釜だ。どやみたいな。こんな自慢は釜くらいしか自分で作ってないからだと思う。何千本もの配管部品を製造した町工場で現存してるところは少ないんじゃないかな。どんな設計の根拠でその構造やサイズにしたか明確にできないはず。コボラーの部品開発みたいな。

横浜にあった会社の親子に別々の話を持ちかけ、分断工作を行い、長男を独立させ、高崎原研の風下に引っ越させた。 そこに将来工場ができるからというエサに釣られて移住したのはその長男だけじゃなかった。肺線維症で亡くなった深谷のおっさんも一緒だったのだ。

その発注元は原発メーカーだった。全くいまさらながら、すべてが繋がっていく。

グンマーから横浜高崎にセイパーを習いに来た工員も多かったそうだ。 セイパー加工には何も問題はない。ヤバいものを加工させ、後で口封じをするのは問題だ。

1978年当時、グンマーではバンクーバーとの間で交換留学が沢山行われていた。 I勢崎東高校が中心になり教師が連携してグンマー県内から核兵器開発に向く生徒の家庭をピックアップしたとか。

科技庁と文科省が統合される前から教師は戦争屋の手先になってる。

そして、留学先のバンクーバーから国境を超えてリッチランドまで見学に行ったそうだ。 バンクーバーから国境を超えてリッチランドまで338マイル(544km)渋滞なしで 5 時間 19 分。ありえねー。 記憶にあるのはアレバ社とロッキード社


ハンフォードの廃液タンクからリッチランドまで直線距離で21.2km 地場産業はアレバとロッキードマーチンだけ。DOEとかハンフォード関連だけだな。 リッチランド

Supporting the World’s Largest Environmental Cleanup
世界最大の除染のサポートw

それでソフトウェア技術者ばかりを募集してるのか。


ポートランドまで278km。 ハンフォードの横を通ったコロンビア川がポートランドまで流れてる。 ちょうちょ?

(www.hanford.gov)Hanford Overview and History

Post World War II tensions between the U.S. and Russia brought about the “Cold War” and drove continued atomic weapons production and Hanford’s plutonium production mission. Additional reactors were constructed next to the Columbia River as the two nations began to develop and stockpile nuclear weapons. In 1959, construction began on the last Hanford reactor, dubbed “N.” N Reactor was a dual-purpose facility which produced plutonium for atomic weapons as well as steam for generating electricity. It was the only dual-purpose reactor in the United States and was so advanced that President John F. Kennedy came to Hanford in September of 1963 for its dedication. Starting in the mid 60’s through 1971, the older reactors were shut down leaving only N Reactor operating on the Site. N Reactor continued its mission of producing plutonium and electricity until 1987. Since that time Hanford’s mission has been to clean up the site after decades of weapons production activities.
で、またしてもNリアクターの話になる。で、JFKも登場。今の駐日大使もケネディ。


1963: At Hanford, Kennedy promises to lead the world in nuclear power
「1963年ハンフォードでケネディが世界の原子力を主導すると約束」
テキサス州ダラスで暗殺される8週間前。
原子力推進を公約したのでオイルビジネス中心のテキサス州で暗殺されたとな。

キャロライン「フクイチ4号機でやってたような発電と製造を兼ね備えるアイデアはとうちゃんのNリアクターのアイデアだった。とうちゃんは世界の原子力を推進すると約束したらオイルビジネスの中心のテキサス州ダラスで暗殺されーた。あたしはとうちゃんの意志を継ぐために駐日大使として日本に来たのよー。」
(やめてー、キャロライン。

なぜこんな発言になるのか。今では理解できる。

問題は発電と製造を兼ね備えるという危険性だな。
JFK暗殺の原因となった「N-Reactor」とはに移動。

まぁこれにグンマーの土人が飛びついたんでしょーな。

【1978年 福田赳夫首相 参議院予算委員会「国の武装力を核兵器で装備するという決定を採択することができる」と述べた】
これが何人も口封じされた理由か。

なぜ川崎や横浜から日立の工場ができるからなどとデマを使って群馬に移転させた理由がわからなかったけど、福田赳夫の統制下に置きたかったからだな。群馬県がハンフォード周辺と交流を持ちたくて全く似合わない交換留学生なんてやってた理由だ。

グンマーにフクダ金融とかナカソネ金融というのがあってな、選挙事務所のような掘っ立て小屋でトイチ(10日で1割)でカネを貸してたそうだ。この話を聞いた時にすべて気付くべきだった。ごめんねー。そんなにアタマよくないのでー。

1977年11月28日 福田赳夫改造内閣 -1978年11月
1977年12月20日 日本の首相(福田赳夫)が何度も何度も濃縮ウランか濃縮ウランを製造できる原発を売ってくれとマンスフィールド駐日大使に圧力をかける。
これ

1978年2月8日 1F1号機が1年半ぶりに再稼働。戦列復帰の記事。
1F1で製造してたな。

グンマーはバカ過ぎる。これこそマサオの言ってた「愚か者」だわな。

以後土人のチャレンジはずっと続く。
1978年11月2日 1F3「制御棒引き抜け」事故
1978年12月19日 1F1で約400体のうち22体で放射能もれ、6体で燃料棒にひび割れ
1979年2月 1F5「制御棒引き抜け」事故
1980年9月 1F2「制御棒引き抜け」事故

ロッキーフラッツ・臨界事故「私たちは核兵器を作った 」から




これに日本が関係してる。

シェーパー(セーパー)の仕事

R加工などが得意です。
あと、フライスに比べて、加工時、品物に熱が発生しにくいので、
後々の歪が少ないです。
まさにうまく爆縮するように、R加工で1000分の1の精度の完全球体が必要だった。 加工時、品物に熱が発生しにくいのもセーパーを採用した理由。

  • ステンレス
    鉄(Fe)を主成分(50%以上)とし、クロム(Cr)を10.5%以上含むさびにくい合金鋼
  • ジルカロイ
    1.5%のスズを含む。他にニオブ、クロム、鉄、ニッケルなどを含む。 ジルコニウム98.23重量%、スズ1.45%、鉄0.21%、クロム0.1%、ハフニウム0.01%からなる[1]。
  • 690系Ni基合金
    ニッケル、クロム、鉄を主成分とし、600系Ni基合金よりクロム量が多く耐食性に優れた合金。
発注時はステンレスということになってたらしいけど、固くてなかなか削れないのもあったとか。

ポチおじさんのとこから帰ってたみっちゃんが玄関先で泣いていた話。
みっちゃんはハラ病院からなにやら薬を貰ってマサオの水割りに垂らしていた。
みっちゃんが死んで、土地の登記だの戸籍だのを取り寄せることになり、いろいろわかってくる。

マサオはセーパーを担保に入れて土地を買った。
土地のローンを払い終わって半年後に死亡。
もうすぐ義妹が成人する直前だった。印鑑証明を取得できる年齢になる前だからその時期だったと推測。
ポチおじさんに娘達は相続権を放棄させられた。

入院中に横浜の土地が売却された。横浜の土地は借地ではなかった。借地ということになっていた。
売却したときのx千万のカネはどこにいったのか。その直後から態度豹変し娘に辛く当たるみっちゃん。
字もまともに読めない中卒のポチおじさんにそんな計画を立てることはできない。

裁判官になった身内がマサオの財産を巻き上げる作戦を考えたようだ。 2人の娘が成人する前に財産を放棄させ、マサオに一服盛って毒殺と資産売却を企てる。 資産を転売してかつ借金も踏み倒す計画だったようだ。 しかしマサオは死に損なってしまい、みっちゃんは抵当の為に働くことになった。

そのうち2人の娘は成人してしまう。土地家屋を転売する作戦は頓挫。

マサオは自分がターゲットにされている事に気付き、生命保険をひとつずつ解約していった。 自分が死亡すると借金も消える住宅金融公庫も有利子負債に変えてしまう。

この回りくどいテロ作戦がはじまったのは、どうやら川崎市に住み始めてからのようだ。 やはり王禅寺と浮島の話になるのだと思う。

という訳でみっちゃんの戒名が決まった。

日立金属(hitachi-metals)


昭和48年(1973年)7月26日 原研「高温ガス炉研究開発で一歩前進」 「原子力製鉄」で論議。 「多目的高温ガス炉」
へー。マグノックス炉の高温ガスを製鉄で流用する?その逆で製鉄で熱した高温ガスをマグノックス炉で使う?


昭和49年(1974年)5月30日 「原子力製鉄研究契約を締結」 「高温還元ガス利用に直接製鉄技術」
マグノックス炉の高温ガスを製鉄で使うつもりだったのか。うーむ。ガスだからすぐに冷めてしまって使えないんじゃね?


昭和54年(1979年)5月17日 玄海1号機の制御棒クラスター案内管の支持ピン、伊方1号機の制御棒クラスター案内管のたわみピン


1997年11月20日 「日立金属の桂木進氏は…15Cr(クロム)-6Ni(ニッケル)-Mo(モリブデン)-Cu(銅)鋼に …現用材よりも大幅に高い腐食疲労強度を有することを確認したことを発表。」


2002年11月21日 「需要が拡大する低磁界用磁気シールドルーム用に、…ロールタイプ・ファインメット磁気シールドシート」

マサオの発注元は日立金属熊谷工場だったらすい。この地域、隣接するUACJや空自熊谷基地とセットなのだ。
マサオが発注された一品物の設計図について発注元に問い合わせたところ日立金属でも回答できなかったそうである。 設計者不在で何か見様見真似な発注だった。この辺に解読のヒントがありそー。

【追悼 原節子さん】決戦の大空へ【戦時映画】


この記事の目的を問われたら行方不明になったミヨの捜索だということになる。 ヒントは霞ヶ浦の予科練と原節子くらいしかない。 映画にでてくる班長がミヨの実兄のヨネヒサおじさんにそっくりなのだそうだ。

てっちゃん、金沢八景、小泉純一郎だったのか… orz.

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