弁財天
ゴフマン「専門家を信じるのではなく、自分自身で考えて判断せよ」
ゴフマン「専門家を信じるのではなく、自分自身で考えて判断せよ」
昭和63年(1988年)8月4日「ヒロセ現象にカゲリも」
「広瀬氏は原子力産業界に大きなショックを与えると同時に、
反原発をかかげた政党や地元の反対は住民にもダメージを与えている。」
「反対派からもバッシングが始まった。」
「広瀬氏は女性という、これまで見逃されてきた
非常に豊富な金脈(これは選挙時には票田になる)を発見、掘り起こした。」
ゲラゲラ、山本太郎のことですな。
昭和63年(1988年)8月11日「新しい動きに対応を」
「反原子力草の根運動」を「ヒロセタカシ現象」と呼んでいたのか。
広瀬氏は女性ターゲットの反原発アクティビストだったのだ。
日本大学の野口邦和氏が特別報告を行った。同氏はこのなかで、「危険な話」の著者である広瀬隆氏について、 「原発推進政策を転換させる運動を構築していく上で、原発推進者を事実上免罪し、 国民の批判の目をジャーナリズムと知識人に向けている」とするとともに、 「非科学的な誇張や憶測で、国民の不安をあおっている」点を強調。
さらに、広瀬氏が 「非科学的な放射線被曝の恐ろしさを語り、広島・長崎の原爆被曝者を冒とくしている」点を指摘し、 「とくにこれは、国民的に反原発でまとまるのを阻害するものだ」と鋭く批判した。
すごいでしょ。反原発の広瀬隆氏が反原発側にディスられてる記事を、原発推進の原産新聞が3週連続の特集にして掲載してることに注目。
これって敵の敵は味方って論理ですな。
この昭和63年(1988年)というのはレーガン政権と日米原子力協定を更新。 日本は独自の裁量で東海再処理工場でプルトニウム抽出ができるようになった。
安全対策などまったく目に入らなかったでしょーな。
核武装一直線。これが米のMarkⅠ型と違い危険なまま放置された理由。
「原発より危険な核爆弾を作ってるんだぞ!安全性なんて意味あるの?」みたいな。
Bonaponta in 原発 2014年3月28日 午前 10:26 JST