弁財天

ゴフマン「専門家を信じるのではなく、自分自身で考えて判断せよ」

三億円事件「西室泰三の告白」タイムラインから読み取れる真相はもっとブッ飛んでいるw。update9

1961年
(昭和36年)
日本赤十字社の小児科医・川崎富作が「川崎病」患者を発見。
1961年4月
(昭和36年)
西室泰三が東芝に入社。
1961年12月
(昭和36年)
川崎市王禅寺 東急五島育英会研究炉 (MITRR) 東京都市大学(旧武蔵工業大学)が臨界。1989年(平成元年)12月まで運転。
1961年12月25日
(昭和36年)
川崎市王禅寺の日立研究炉 (HTR)が臨界。1975年(昭和50年)まで運転。
1962年3月13日
(昭和37年)
川崎区浮島東芝研究炉 (TTR-1)が臨界。2001年(平成13)2月まで運転。浮島実験炉が臨界したので原研の青木敏男保険物理部長がストロンチウム85で乾杯(読売・4日)昭和37年3月4日
1963年12月
(昭和38年)
川崎区浮島東芝研究炉 (BWR)が臨界。2014年も運転中。
1965年x月x日西室泰三が米国赴任、東芝アメリカ立ち上げにセールスマネジャーとして参加。
1968年x月x日西室泰三が米から帰国w。
1968年6月10日
(昭和43年)
大気汚染防止法
1968年8月8日和田心臓移植事件。札幌医科大学が日本初、世界で30例目となる心臓移植手術を無理矢理実施して患者が死亡。
1968年9月2日王禅寺の実験炉で「原子炉脳しゅよう治療」王禅寺の人体実験の目的は何か?
1968年12月10日
(昭和43年)
三億円事件が東京都府中市で発生。東芝府中工場のボーナスのカネだった。
1970年7月18日
(昭和45年)
日本で初めて光化学スモッグが環七通りの近くにある東京立正中学校・高等学校で発生。
1971年x月x日西室泰三が再び渡米w。
1973年(昭和48年)光化学スモッグ注意報が300日を超えてピーク。「1969年・1970年に関東でそれぞれ報告されていた農作物の斑点などの被害は、後に光化学スモッグによるものであったと判明している」 「1970年代には断続的に扇風機による死亡が報じられている。」w
1974年11月14日
(昭和49年)
富士通の池田敏雄氏が、くも膜下出血のため逝去(享年51)富士通「池田敏雄ものがたり」と川崎実験炉
1974年12月9日田中角栄内閣終了

タイムラインを読むかぎり、東芝社員のボーナスから人体実験犠牲者遺族の口封じの賠償金(工作資金)3億円を捻出したのだろうw。

nikkeibp.co.jp→【時代のリーダー】西室 泰三・東芝社長

西室 泰三(にしむろ・たいぞう)氏 1935年12月生まれ、山梨県出身、63歳。61年、慶応義塾大学経済学部卒業。同年4月、東芝に入社。65年に米国赴任、東芝アメリカ立ち上げにセールスマネジャーとして参加。68年に帰国。71年に再度渡米し、合わせて14年間駐米する。その後、電子部品、半導体、家電、パソコンなどの事業を担当、 92年に取締役に就任。94年常務、翌年専務。96年に社長に就任し、現在に至る。 (写真:清水 盟貴)

東芝のニュージェン(NuGEN)解散w

日経→東芝、英原発子会社の解散を発表
東芝、英原発子会社の解散を発表
2018/11/8 12:45
東芝(6502)は8日、英国における原子力発電事業から撤退し、同国の連結子会社であるニュージェネレーション(ニュージェン)社を解散すると発表した。東芝は海外の原発事業からの撤退に向け、ニュージェン社の売却に向けて複数社と交渉してきたが、難航していた。
ニュージェン社の清算に伴い2019年3月期の連結業績に150億円の損失を計上する。8日発表した19年3月期業績予想の修正に織り込み済み。
〔日経QUICKニュース(NQN)〕

reuters.com→韓国政府、原発事業巡り英政府と連携へ 東芝が清算発表

ワールド2018年11月8日 / 15:54 / 3時間前更新
[ソウル 8日 ロイター] - 東芝(6502.T)が英原発建設事業を手掛けていたニュージェネレーション(ニュージェン)を解散すると発表したことを受け、韓国の産業通商資源省は8日、ニュージェンの事業について英政府と緊密に連携していく方針を示した。
韓国国営の韓国電力公社(KEPCO)は、同事業の権益取得について、東芝と協議してきた。ニュージェンは英国北西部ムーアサイドで原発建設を計画していた。
同省は「ムーアサイドの事業について、英政府と緊密に連携していく。ニュージェンの清算手続きをKEPCOとともに注視していく」との声明を発表した。
なんと東芝がニュージェンを解散して韓国が代わりに担当w。

英ニュージェンを買収して(2013年12月)、仏ENGIEからもニュージェン株を買ったのに(2017年4月)、 2017年10月14日西室泰三が死去して、ニュージェンを解散(2018年11月8日)して韓国に権益を譲渡w。3億円事件などどーでもよくなる天文学的な浪費w。

三井生命保険から「三井」消える 来年度、社名を変更 柴田秀並2018年11月8日08時26分
写真・図版 三井生命保険のロゴ
 三井生命保険が来年度に社名を変更することがわかった。新社名は月内に決まる見通しで「三井」の文字が消える。同社は経営不振から2015年末に日本生命保険の子会社となった。伝統の「三井」の名を冠するには、三井グループのルールに従う必要があり、日生の傘下入りした三井生命は「三井」を名乗るのが難しくなった。90年以上親しまれた老舗の名称が消える。
 三井グループ各社では、「三井」の商号を管理する「三井商号商標保全会」を設立している。「三井」を名乗る企業が株主構成を変えた際は見直しを検討することになっている。
 三井生命は、かつては三井住友銀行が大株主だったが、15年末の日生傘下入り後は同社が株式の8割を握り、残りを三井系企業などが保有する。日生側には「『三井』にはブランド力もあり、むしろ残してほしいとの声もある」との意見もあったが、日生の傘下で「三井」と名乗り続けるのは難しくなったという。三井生命幹部は「これを機に新たなスタートを切る」としている。
 三井生命は1927年、高砂生命保険から商号を変更。戦後の財閥解体などで一時名称が変わったが、三井グループの顧客基盤を強みに長らく大手生保の一つに数えられてきた。だが90年代にはバブル崩壊後のあおりを受け、業績が低迷。04年に三井住友銀などが出資して株式会社化したが、経営は振るわなかった。15年12月には、日生が約8割の株式を取得して、子会社となった。(柴田秀並)


NAIGの三井生命が日本生命グループに入って三井の看板を下ろす。
【第一原子力産業グループ 】6つの原子力グループ

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